休み明けにだるくなってしまうということについて。
私自身は、これが平気な方である。
しかし、初任の頃から数年は、だめだった。
なぜなのか、考えみた。
一つ目は、生活習慣。
若い頃は休みだからと休日前の夜更かし、朝寝坊をしていた。
当然、月曜日や休み明けはだるくなる。
誰でもわかっていることだろうが、これはある。
きちんと寝ているのにだめな時もあった。
なぜか。
不安だからである。
具体的には、毎日授業で何をやればいいのかわからず不安だった。
行事があると、その準備もあり、不安だった。
見通しがないからである。
もう少し突っ込んで考えてみると、ベクトルが自分に向いているからである。
自分のことばかり考えていると、不安だらけになる。
発想を変えてみる。
何のために仕事に行くのか。
私のために仕事は存在していない。
私のために学校は存在していない。
当たり前である。
仕事があるから、私の働く場が与えられる。
つまりは、働けることは、社会のためである。
そこを通しての自己実現なのだが、兎にも角にも社会のためである。
そう考えると、仕事は人を喜ばせるためになる。
自分が人のお役に立てる。
有難いことである。
そんな簡単でないことはわかっている。
しかし、考え方は、肉体と違い、一瞬で変えられる。
世の中のために自分を働かせる。
まして教職は、子どもの成長に貢献できる。
人様に喜んでもらえる上に報酬までいただけるなんて、有難いことである。
「自分を捨てる」というのは、自己犠牲ではない。
自己を最も生かす道のことである。
2018年10月8日月曜日
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