2018年10月3日水曜日

松下村塾からの学び1

夏休み中、福岡県と山口県に研修のための旅行をしてきた。
最大の目的は、松下村塾を実際に尋ねることである。
以下、旅における学びと気付きを記す。

自分に何が足りていないか、結論が出た。
ずばり、勉強量である。
具体的に言うと、圧倒的な読書量の不足である。

部屋の柱に飾られた孟宗竹には
「万巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人たるを得んや」
と記されている。

更に、読書の方法についても指南している。
読むだけではだめで、要点を書き写せという。

そして、最も大切なのは、行動。
書物より学んだことを実行せよということである。

松下村塾という建物自体からの学びもあった。

松下村塾は元々8畳のスペースで、塾生が増えてあまりに狭いので、後に10畳半を増築したという。
↓参考資料 国立国会図書館デジタルコレクションH.P.内「松下村塾間取平面図」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274459/6?tocOpened=1

増築分は、塾生による手作り建築物である。
大工に頼らなかった理由は、松陰が塾生への教育の一つとして行ったからだという。

松下村塾は、狭い。
藩校と違い、私塾であり、当時の最新の教育機器もない。
それどころか教科書もないので、まずは書き写すところからである。
しかし、高杉晋作や伊藤博文をはじめ、多くの傑物がここから出ている。

なぜなのか。

結論、つまり「最大の教育環境は、教師である」という事実の証明である。
教育機器その他諸条件のせいではないのである。

そこで「そんなことはない」と反論するために、「生徒の質」ということを言い訳にして考えてみる。
つまり、松下村塾に来る生徒が、元々優秀だからという仮説。

残念ながら、この仮設もほぼ全く成立しない。
藩校で「悪童」として名を馳せ、手の付けられない生徒も少なくなかったという。
親としては、こちらの塾にぶち込んで、矯正してもらおうという訳である。
伊藤博文のように、元々志が高い人間ばかりではなかったようである。

更に言うと、松陰は獄中での講義も行っている。
江戸時代の、獄中の人々。
ここに対し「教えやすい相手」「元々優秀」と言えるか。
明確に「否」である。
しかし実際は全員、20代から40年以上刑務所に入っている人間までもが、学び始めるのである。
看守すら生徒になってしまう。

これでは、全く言い訳ができない。
「生徒の質が悪いから」は、全くの虚言であると断言できる。
残念ながら、悔しいぐらい、教える自分の側が原因である。

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