師の野口芳宏先生からの学びのシェア。
野口先生がこんなお話をされた。
定年退職を迎えて、再就職した人と話すと
「給料が3分の2になった」という話になる。
この後の反応が、大きく二つに分かれるという。
一つは、
「同じ働きなのに、安い給料でやってられない」
という反応。
まあ、そう考えるのが普通である。
もう一つは、
「現役の頃は、何て高い給料を頂いていたのか、恩が身に染みる」
という反応。
どちらも、境遇は全く同じなのである。
不平不満の人生か。
感謝満足の人生か。
どちらが幸せかは、明白である。
これを、定年退職した人の話と受け止めてはいけない。
現役バリバリで働く人たちにも、十二分に当てはまる話なのである。
ちょうどその1週間前、私は父と二人で酒を酌み交わしながら、これに近い話をされた。
私の父の仕事は、建築関係である。
65を過ぎたら、一気に給料は減る。
それでも、仕事がもらえるだけで、有難いという。
さらに
「公務員は、叩かれるつもりでいろ」
とも忠告された。
一般の業界からすれば、これほど社会的に保護された立場はないという。
「使えないからクビ」「態度が悪いからクビ」「会社の経営がきついからクビ」など、他の業界では当たり前のことだという。
明日、家族の生活がどうなるかわからないのである。
「そういうことがまず起きない」というだけで、もうとんでもない優遇された立場だという。
そういう諸々に、感謝しているだろうか。
給料が安いとか労働時間どうこう言う前に、それほど「働いて」いるだろうか。
貢献できているのだろうか。
本当に、自分たちの仕事が、公務員ではない一般業界と比較して、大変なのだろうか。
日々の授業を工夫できたり、かわいい子どもたちと過ごせたり、むしろ、感謝すべきことの方がはるかに多いのではないか。
「働く」とは、「傍を楽にすること」という。
周りを幸せにした度合いへの見返りとして、給与がある。
そう考えると、その職に就いただけで一定の給与が頂ける立場が保証されているというのは、おそれるべきことである。
何でも、登るのは大変だが、転げ落ちるのはすぐである。
水は低きに流れる。
気を付けないと、不満不満と堕落の道を辿ることになる。
何事も、勉強である。
「努力否定論」もあるが、やはり、基本的に人間は苦労するのがいいのではないかと思う。
「働き方改革」は、必要である。
しかしながら、これは「楽していい給料をもらうようにしょう」ということではない。
苦労して働き、給料を頂ける有難さを見直したい。
2018年10月2日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿