2018年10月2日火曜日

「給料が3分の2になった」をどう考えるか

師の野口芳宏先生からの学びのシェア。

野口先生がこんなお話をされた。
定年退職を迎えて、再就職した人と話すと
「給料が3分の2になった」という話になる。

この後の反応が、大きく二つに分かれるという。

一つは、
「同じ働きなのに、安い給料でやってられない」
という反応。
まあ、そう考えるのが普通である。

もう一つは、
「現役の頃は、何て高い給料を頂いていたのか、恩が身に染みる」
という反応。

どちらも、境遇は全く同じなのである。
不平不満の人生か。
感謝満足の人生か。
どちらが幸せかは、明白である。

これを、定年退職した人の話と受け止めてはいけない。
現役バリバリで働く人たちにも、十二分に当てはまる話なのである。

ちょうどその1週間前、私は父と二人で酒を酌み交わしながら、これに近い話をされた。

私の父の仕事は、建築関係である。
65を過ぎたら、一気に給料は減る。
それでも、仕事がもらえるだけで、有難いという。

さらに
「公務員は、叩かれるつもりでいろ」
とも忠告された。

一般の業界からすれば、これほど社会的に保護された立場はないという。
「使えないからクビ」「態度が悪いからクビ」「会社の経営がきついからクビ」など、他の業界では当たり前のことだという。
明日、家族の生活がどうなるかわからないのである。
「そういうことがまず起きない」というだけで、もうとんでもない優遇された立場だという。

そういう諸々に、感謝しているだろうか。
給料が安いとか労働時間どうこう言う前に、それほど「働いて」いるだろうか。
貢献できているのだろうか。
本当に、自分たちの仕事が、公務員ではない一般業界と比較して、大変なのだろうか。
日々の授業を工夫できたり、かわいい子どもたちと過ごせたり、むしろ、感謝すべきことの方がはるかに多いのではないか。

「働く」とは、「傍を楽にすること」という。
周りを幸せにした度合いへの見返りとして、給与がある。
そう考えると、その職に就いただけで一定の給与が頂ける立場が保証されているというのは、おそれるべきことである。

何でも、登るのは大変だが、転げ落ちるのはすぐである。
水は低きに流れる。
気を付けないと、不満不満と堕落の道を辿ることになる。

何事も、勉強である。
「努力否定論」もあるが、やはり、基本的に人間は苦労するのがいいのではないかと思う。

「働き方改革」は、必要である。
しかしながら、これは「楽していい給料をもらうようにしょう」ということではない。
苦労して働き、給料を頂ける有難さを見直したい。

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