2018年10月20日土曜日

選ぶとは即ち捨て去る

仕事における「捨てる」の大切さついて。

教育実習生の指導案を読む。
授業の中では、子どもに教えたいことがたくさんある。
しかし、それらすべてを教えようとすると、何も身につかない。

捨てさせる。
絞らせる。
何かを捨てるというのは、大切な何かを選ぶということと同義である。

これは、私が言い出したことではない。
森信三先生の『修身教授録』にも、捨てる大切さが書いてある。
成し遂げたいこと以外を捨て去るということが肝要である。

野口芳宏先生も、同じことを仰っている。
国語や道徳の模擬授業を見ていただく際、
「どうでもいいことをいちいち聞かない」
「枝葉末節にこだわるから、本質である幹の部分が教えられなくなる」
ということを何度も指導していただいた。

仕事に関しても授業に関しても、同じである。
枝葉の部分が要らないとは言わない。
全く役に立たないとも言わない。

しかしながら、そこばかりに目を向けていては、本質が疎かになるということである。
授業で「ねらい」が大切というのは、そういうことである。
的が二つ以上あると、どちらにも当たらないのである。

例えば、算数の授業で計算を扱う時。
まずはやり方を教えたいのか。
はたまた、既存の知識を用いて深く考えさせたいのか。
大量に問題をこなしていく中で体感的に掴ませたいのか。
さらには、それらの方法を通して、形成学力としては何を獲得させたいのか。

それらが明確に定まれば、目的のものは手に入ったも同然である。
代わりに、他は捨て去らなければならない。
一番大切なもので、両手がもうふさがるからである。

一つを選ぶというのは、その他を捨て去ることである。
幼い子どもが、たくさんのおもちゃをいっぺんに運ぶ様を想像すればわかる。
いっぺんに運ぼうとして、脇からぼろぼろこぼれ落ちる。
それを拾おうとしてかがみこみ、持ってるものを全部まっ逆さま。
(大抵、これはビーズなどバラバラに散らばるもので、慌てる母親の風景もセットである。)

欲張ると、一気に手に入ったようで、結局何も残らなくなる。
うまくやってるつもりでも、駄目である。
何でもステップになっていて、一足とびとはいかないものである。

今日一日で何をねらうか。
日々自問して、少しでも今よりましに成長していきたい。

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