赤坂真二先生によるクラス会議研究会での学び。
なぜ、クラス会議をやるのか。
冒頭で、そういう根本的な問いを投げかけられた。
グループで考えを出し合い、発表した。
クラス会議に限らず、何かしらの実践をする時には、必ず考えることである。
逆思考でいく。
それをやらないと、どうなるのか。
さらに、他のもので代用できるのではないか。
この二つの問いに答えられないと、「やらなくてよい」という結論になる。
価値を説明できないということになる。
例えば、ある商品を売りたいとする。
ものすごい「多機能」で「便利」なのだが、相手側が買うかどうかはそこではない。
それを買うと、生活がどう変わるか。
他の商品にはない独自の魅力は何か。
そこをお客さんの頭の中にわかりやすくストーリー化して想像させながら伝える必要がある。
商品に対する知識と自信がないと売れない所以である。
もし、自分で何かしら実践していることがあったら、問うてみる。
それをやらないとどうなるか。
他のもので代用できないか。
何のためにやっているかわからなくなった時にも、使える思考法であると思う。
2018年1月31日水曜日
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