学級経営のコツ。
目的と目標と手段の区別について。
このブログ上では再三書いていて人によっては耳にタコ、あるいは釈迦に説法かもしれない話の確認から。
目的と目標は違う。
目的はまさに目指すべきゴールである場所。
海賊にとっての宝島である。
一方の目標は、「標」が「木の立て札」の語源の通り、そのための道標となるもの。
海賊にとっては、宝島に辿り着くための途中地点や目印である。
大体あっちに向かうらしいということがわかるものが目標である。
当面の目標を実現するためにとるのが手段である。
最初の島に行くのにいきなり難破は困るから、まずは天候や方角を読める航海士を仲間に入れるとか、そういうことである。
校内の縄跳び大会を例にして考えてみる。
クラス全員の心技体を鍛えることが目的。
そのための目標が優勝。
目標達成の手段として、モチベーションを保つために8の字跳びの練習の成果を可視化するためのグラフを利用する。
そんなイメージである。
学級におけるすべての活動に、この意識をもつことである。
目的は「何のために」とも言い換えられる。
目標は「何を」にあたる。
手段は「どのように」である。
「何のために」「何を」「どのように」を選択する。
前々号で紹介した河邊氏の「鉛筆1本」の活動を考えてみる。
何のために=ありがとうがあふれるクラスづくりのために
何を=あらゆるもの・人を大切にすることを
手段=鉛筆1本だけを使うルールを用いていくことで実現する
という感じになる。(私の勝手な分析であり、ご本人がどう考えているかは知らない。)
どんな活動でも、これに当てはめて考えることができる。
逆にいうと、これが具体的に答えられない活動の場合、意味がない、あるいは害悪の出る可能性がある。
うまくいかない場合は、目的か目標か手段のどれかを間違えているのである。
その場合、この根本を変えないと、何度やってもうまくいかないという結果が天地自然の原理できちんと出る。
例えば、良い授業をしようとして楽しいネタを用意しているのに、子どもがのってこずに全然うまくいかないという悩みがあるとする。
目的=良い授業をする
目標=子どもがのってくること
手段=子どもが食いつきそうなネタを用意する
となっている。
一体、どこがまずいのか。
長くなったので、次号に続く。
2018年1月25日木曜日
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