新年は、色々な人に会う機会が増える。
親戚や知人の子どもに会って、お年玉をあげたり、一緒に話したりする機会もあるだろう。
そんな時に注意したいことがある。
何かというと、子どもは、お年玉も冗談も額面通り受けとるということである。
どういうことか。
お年玉は、渡した金額の通り受け取るのが普通である。
1000円渡しておいて、本当は5000円渡したいのだけど、ということが通用しないことは誰でもわかる。
普通に考えて、1000円より5000円の方が嬉しいだろう。
冗談もこれと同じで、言った言葉の通り受け取る。
冗談の裏の伝えたいことより、そのまま額面通り受け取るということである。
愛情を込めた冗談のつもりで言ったのに、本当に悪口として受け取るということである。
普通に考えて、馬鹿にされるより褒められる方が嬉しいだろう。
子どもには、大人に通じる冗談が通じないという前提をもつことである。
(本当は、大人もきちんと褒めてもらう方が嬉しい。
親戚の前で「うちのは何やってもダメで」なんて言われて、妻(夫)が嬉しいはずがない。)
親戚の集まりというと、それぞれの近況の話になることがある。
受験生がいるなら逆に気を遣って話題にならないかもしれないが、時に学校の成績の話になったりもする。
親としては自慢するのも気が引けるので、「私に似て出来が悪くて」などといった謙遜をするかもしれない。
ここである。
親が「私の出来が悪い」のは構わないが、子どもを巻き込んではいけない。
子どもは、そういう冗談からも「自分は出来が悪い」と捉える。
他人が同意しようものなら、その疑いは確信に変わる。
昔はよく幼子に対し「お前は橋の下で拾われた」などという冗談を言ったという。
これは、よくない。
私の母も、幼い時分に親戚の誰だかに突然言われたことがあるそうで、ひどく動揺して泣いたと言っていた。
冗談でも、実は深い心の傷になっている。
(何をねらった冗談なのか、未だに不明である。)
逆に考えると、子どもは褒められた通りに受け取るのだから、褒めた方が良い。
「あなたはお母さん似ね」と言われれば、否定したい気持ちをもちつつも、そうなのかなと思う。
そこに「優しいところもお母さんそっくり」と言われたら、悪い気もしない。
一人ならともかく、複数にそう言われたら、確信に変わる。
優しいという自己イメージをもった子は、人付き合いに対し前向きな姿勢をもつようになる。
子どもに対しては、人前でその子の良い点以外は言わない。
また、親の謙遜にも同意しないことである。
子どもは、冗談をそのまま受け取り、褒めたことも、素直に受け取る。
どうせなら、良い思い込みをさせることである。
学校でもそのまま適用できる、使い方要注意の教育の原則の一つである。
2018年1月3日水曜日
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