ある日電車に乗ると、各社の胃薬の広告だらけであった。
「飲んでスッキリ!これで忘年会もOK!」
「胃痛がしたら、これ1本!」
といった広告が立ち並ぶ。
なるほど、胃薬に助けられている人が多いのだということがよくわかる。
広告を出すのは、売れるという算段があってこそ。
ただ、これではいけないと感じた。
薬を飲むという行為は、あくまで苦痛回避の緊急手段である。
「胃をおかしくする生活習慣」という根本の原因をどうにかしないといけない。
悩みを一発解決してくれるものを求めてしまうのは仕方がない。
薬のような劇的な効果である。
しかし、劇的な効果のあるものは、必ずといっていいほど副作用がある。
症状によっては薬は毒になる。
薬は本来病気を治すものではなく、耐え難い苦痛を一時的に和らげるものである。
健康に関する生活習慣の根本改善は、
食事、運動、睡眠である。
3つの内の1つではなく、3つともである。
どれかを欠いた方法は根本的解決にならない。
必要な栄養をとって、適度な運動をして、必要な量眠る。
当たり前のことを地道にやるのが、一番効果的である。
子どもたちは「○○ができるようになりたい」と願っている。
学校はそういう場なのだし、当然である。
ただ、勉強でも運動でも習い事でもそうなのだが、何か劇的にうまくいく方法があると思っていることが多い。
道具がどうだとか、教え方がどうだとか、周りの友達がどうだとか、色々に原因を求めている心がある。
要は、問題解決に薬を求めているのと同じである。
この心の状態だと、何をやってもうまくいかない。
自助努力が先にあってこそである。
うまい方法を教えてもらう前に、自分でやるべきことをやる。
向寒マラソンや縄跳びによる体力向上期間に、よく子どもにする例え話がある。
「速く走れるようになりたいなら、本人が走る以外ない」という話である。
親や先生や友達が、どんなにがんばって教えても、本人が走らないことにはどうしようもない。
努力もしないでうまくいく方法を教えてくれというのは、そういう状態を指す。
立ち返って、仕事にも適用できる。
何か、そういう姿勢の自分がいないか。
もっと周りが〇〇だったら、うまい方法があるはずだ、と考えすぎていないか。
その前に、自分がやるべきことをやる。
当たり前のことをきちんとやる。
それができれば苦労ない、を苦労してやるのが、王道ではないか。
生活習慣を改善しようともせずに、劇的に効く胃薬を求め続けるような生き方は避けたい。
2018年1月19日金曜日
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