前号の続き。
忘れ物をどうやって減らすか。
身も蓋もない話をすると、担任が何を言おうが、忘れ物が減ることはない。
それは、生活習慣だからであり、個人の性格の問題も多分に含まれるからである。
そこを担うのは、家庭教育である。
家の中のモノや生活習慣が乱れていたら、当然忘れ物は増える。
担任は家庭訪問をする際に「この子どもは忘れ物をしやすい状態にある」ということも押さえる必要がある。
変えるとしたら親の方にアプローチする必要があるが、ただでさえ若手は親に腰が引けるのに、そんなことはとてもできない。
せいぜい「連絡帳に書かせてチェックし、毎日親にもチェックしてもらう」程度である。
さて、そこでもう一方のアプローチである「忘れても問題ない状態にする」を考える。
要は、他人ではなく、自分を変えるのである。
こちらの方が問題の解決方法として現実的だし、お互い精神的に負担が小さい。
忘れたら、すぐに貸し出せる体制を整える。
ありがち忘れ物上位の習字セットなどは、5セット位余分に用意しておく。
「○○を忘れたので、かしてください。」
「どうぞ」
これだけである。
(ただし、専科の先生の授業の場合、このルールを適用しない。
その先生のやり方があるので、そちらを尊重する。
私は学級担任よりも、授業者優先の考えである。)
貸し出す時は、色々言わない。
ぐちぐちネチネチ言われると、次に借りたくなくなる。
そうすると忘れたのに黙っていたり、勝手に友達のを借りたりするようになる。
折角の手段が無効化する。
よって、お互いに爽やかに行うのがコツである。
貸し出す時に、名簿にチェックぐらいはしてもよい。
図書の貸し出しと同じで、確実に返してもらうための手段である。
借りた側も多少恩義に感じ「次は気を付けようという」という意識化にもなる(かもしれない)。
「借りたものは必ず返す」という社会生活に必須の教育にもなる。
一石二鳥三鳥である。
要は、いかに軽やかにいなすか。
小さな悩みが脳の中で肥大化する。
真正面からぶつからず、違う方向から見るというのが、あらゆる悩みの解決の基本である。
2018年1月17日水曜日
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