ルールと自由についての考察。
あの大谷選手も実践している「原田メソッド」で有名な、原田隆史先生の言葉。
===============
仕事をする上での必要不可欠なルールから、
お互いが気分良く仕事に取り組めるような決まりごとまで、
組織に所属する人々が納得感を持って、自主的に、しかし意識的に取り組む約束事やルールは、職場に適度な緊張感と安心感を与えるのだ。
居心地の良さは、決まりごとが少なく、自由に過ごせるという環境から生まれるのではないのである。
================
心の底から、納得である。
特に最後の一文。
納得感をもてる約束事やルールがあるから、居心地が良い組織になるのである。
これまで何度も述べている通り、自由という言葉は、使い方を間違えると危ない。
例えば路上を通行するのも、きまりごとやマナーが数多くある。
歩道一つとっても、歩行者と自転車は分けられているし、様々な規制・規制がある。
交通ルールを破ったり路上で横暴をしたら、いつ警察に捕まるか分からない。
近くを通りかかった一般の人に注意されるかもしれない。
だからこそ、安全が担保されていて、安心して通行ができる。
交通ルールの存在には、納得感がある。
ここがないと、混乱して危険だらけになるのは目に見えているからである。
お互いに交通ルールを守れば、誰しもが快適に通行できるとわかっているからである。
警察の存在には、安心感がある。
いざとなったら悪をくじき、困っている人を助けてくれるからである。
逆にいえば、自分が法を侵すようなことをすれば、悪としてくじかれることも承知である。
適度な緊張感と安心感を与えてくれる。
また、狭い道で互いに譲り合うといったマナーも、安心感につながる。
教室にも、適度な緊張感と安心感が欲しい。
そのためには、子どもたちが納得感をもって、自主的に、意欲的に取り組む約束事やルール、共通理解されたマナーが必要である。
例えばクラス会議などは、それを実現する有効な手立てとなる。
一見厳しいようなルールでも、子どもたちが納得感をもっているものであれば、進んで従うものである。
クラス会議で子どもが作ったものには、過度に厳しいものが含まれることがある。
しかし、無理のあるものは、自然淘汰されるので、あまり心配せずとも大丈夫である。
そして、しっかりと見守る教師がいるからこそ、子どもに安心感が生まれているという事実から目を逸らさない。
自由な学級という耳に心地よいフレーズばかりにとらわれて、するべき指導を躊躇すれば、そこが小さな穴となる。
どんな立派な城も、最初の小さな穴から崩れる。
穴が空いても埋めようとすればいいのだが、放置しておけば穴はどんどん広がり、新しい穴もできる。
いくら子どもたちが納得して決めたルールだからといって、全員が必ず守るとは限らない。
「決めたルールは守る」ということを見守り、担保してくれる存在が必要である。
お金の場合を考えればわかる。
お金の貸し借りの場合、よほどの信頼関係がない限り、法とそれに基づく保証人が必要である。
ましてお互いがよく知らない他人同士であれば、情や口約束だけではとても成立しない。
裏切って逃げられても、信用した方がお金も心の面も大損するだけで、約束を破った者勝ちである。
そう考えると、特に学級づくりの初期段階では、子どもだけで自治するのはほとんどの場合、無理である。
ただいつまでも教師頼りでは困るので、最初は手も目もかけ、徐々に手放していくイメージである。
「最初は手をかけ目もかけルールを守らせていく」という点は、子育てと同じである。
子育てにおける難関は、あらゆるルールを身に付けさせるところである。
そこが愛情なのである。
最初は、排泄のルール。
トイレトレーニングは、苦労する子どもはかなり苦労する。(それが個性なのだから、違って当たり前である。)
厳しくいっても余計ダメ。
根気強く励まし、成功を褒めながら「排泄はトイレでする」ということを教えていくしかない。
愛情があるなら、できるようになるまで見守るし、「どこでしてもOK」とはならないのである。
他にも、眠る時間のルールや食事のルールなど、やるべきことは山積しており、親(特に母親)は休む暇がない。
これらを総じて「躾」という。
そこは、やり方は様々であれ、一つの訓練なのである。
母親が躾のすべてを担うのは厳しく、そこは父親なり他の人も見守り、必要なところは口を出していくのが望ましいバランスである。
母親が安心感を担保するとしたら、父親の役割は、適度な緊張感を与える存在となる。
そのバランスが、子どもにとって居心地のいい家庭となる。
特に思春期以降はこの役割分担が重要で、ここも徐々に手放していくというのが、大切なポイントである。
話がお金や子育てにまで広がってしまった。
納得感を持って意欲的に取り組むルールづくり。
適度な緊張感と安心感。
ルールを担保する教師の役割の重要性。
学級づくりにおいてのキーワードである。
2018年1月29日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿