2018年2月2日金曜日

鬼は内にあり

毎年書くが、節分の話。

「鬼は外!」という言葉には、悪を追いだそうという願いがある。
元々は災厄の一切を「鬼」という他者のせいにしていたことによる。
しかし実際、鬼は攻撃して排除すれば済むものではない。
一時的に退避したように見えるかもしれないが、気を抜けばいつの間にか隣にいる。

なぜなのか。
それは、実は自分の心の中に巣くっているものだからである。
そのスケープゴートとして、鬼という他者に反映させている。
悪に見えるということは、自分の中にもその悪が潜んでいるといえる。
世の中のあらゆる悪というものに、そういう面がある。

学級を例に挙げて考えてみる。
例えば、友達の鉛筆を盗んでしまった子どもがいるとする。
例えば、友達に暴力をふるってしまう子どもがいるとする。
この行為だけ見れば、その子どもにとっての「悪」である。

それで、その子どもの非を責めたとする。
その子はその時、反省するかもしれない。
しかし、またやる。
その内、もっと大きなことをやる。

悪い事をした相手に、その悪さだけを取り上げて正義で責めても、根本的解決にはならない。
少なくとも学級において、その子の悪の根源、つまり「鬼」の正体は、実は、自分自身の中にいるからである。

次の問いかけを、担任である自分にも、学級の他の子どもたちにも投げかける。

友達の鉛筆をとってしまったその子に、あなたは鉛筆を貸してあげていたのか。
または、自慢したり見せびらかしたりはしていなかったか。

暴力をふるうその子に、あなたは優しさを与えていたのか。
その子どもの中にある優しさを認める言葉をかけていたのか。

自らの行いを棚に上げ、他人の悪に正義を振りかざすその心。
それこそが「鬼」の正体である。
心の中に巣くう以上、他を責めてどんなに排除し続けても、いつまでもいなくならない。
いじめがいつまでもなくならないのは、いつまでも自分が得することばかり考えているからである。

自分の鬼は、自分で何とかする。
すべて、身から出た錆である。
他者を鬼に仕立てあげない。

人の心には鬼が棲む。
自分の中にいる鬼は外に追い出すより、優しく理解を示してあげることの方が大切かもしれない。

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