2018年2月26日月曜日

保育園は保育の場 学校は授業の場

保育園は何のためにあるか。
保育のためである。
子どもを守る、保育の場である。
だから管轄は、厚生労働省である。

幼稚園は何のためにあるか。
幼児教育のためである。
子どもを意図的に成長させる、教育の場である。
だから管轄は、文部科学省である。

両者の役割で明確に違うのは、その目的である。
保育園は、保育の場だから、乳幼児を保護して育てるのが目的。
幼稚園は、教育の場だから、知識や技能を身に付けさせるのが目的。

ちなみにこども園というのは、これら教育と保育を一体として行う場である。
管轄は上位の機関である内閣府であり、つまり両省を含む。

何を言いたいかというと、学校教育、特に小学校の目的の話である。
小学校は、言わずもがな教育の場である。
意図的な成長への目的がある、知識や技能を身に付けさせる場である。
一から十まで手をかけて生活全般の面倒を見て保護する保育の場ではない。
教えるべきは教え、後は自分でやらせて自分の力で生きてけるようにしていく、子どもを鍛える場である。

相手も保育園の0~1歳児のように、一瞬目と手を離すと何が起こるかわからないような存在ではない。
学年が上がるにつれて段々と、手を離し目を離していく場である。(ただし、心だけは離してはいけない。)
生きていくための知識や技能を身に付け成長させるためには、いつまでも手取り足取りではダメである。
子どもをみくびって、遠慮してはいけない。
一年生とて、保育園や幼稚園で、ここまでばっちり育てられて、「自分で」の基礎はできているのである。
知識と技能を身に付けさせ、自信をつけさせるべく、どんどん自分でやらせる場である。

この目的を達成するための、幼稚園までにはない、学校における独自の最適な手段とは何か。
授業である。
だから、小学校から大学までは、本来は授業が命なのである。
授業なくして学校とは言えない。
すべての学校の教師は、授業に力を入れるのが本来の仕事の中心である。
各学校が校内研修において授業研究に力を入れるのは、当然の姿といえる。
(一方で、「研修」が「研究」ばかりで、自己を対象とした「修養」に当たる部分が疎かにされているのは、問題である。)

それなのに、授業の前提である学級づくりに力を入れないと、授業自体が成立しないのが現実である。
一昔前のように、先生が授業をするから子どもは聞くのが当たり前という常識が、通用しない教室が結構多い。
ここを無視しては、どんなに正論を振りかざしても、せっかく力を入れた授業自体が成り立たない事態になっている。

では、なぜそういう現象が起きていて、ここに対してどうすべきなのか。
具体的な解決策を提案していく。

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