2018年2月12日月曜日

チームで教育にあたる

子育てや教育におけるチームプレーについて。

教育は、チームプレーである。
主に叱る役もいるし、主に相談を受けて励ます役もいる。
例えば学校において、教育支援相談員や養護教諭は、一般の教諭とは必要な免許も違うし、立場も明確に違う。
子どもの教育にとっては、叱ってくれる役と安心を与えてくれる役の両方が必要なのである。

誰も損な役はやりたくない。
だから、可能なら、自分もニコニコして人気者の優しい先生でいたい。

しかし、である。
学校は子どもをよりよく成長させる場である。
教師が子どもと仲良しこよしになるのが目的の場ではない。
叱る必要も出る。(というか、元気な子どもたちを相手にする時ほど、こちらの方が多い。)

ここで大切なのは、チーム内での共通理解と役割分担である。

ルールについて、学校というチームで共通理解する。
子どもは一定の基準に従い、きちんと叱られる。
廊下を走っていたら、どの先生が見ている場合でも、注意される。
そうなるとわかっていると、子どもは安定する。

一番悪いのは、ここに対して、チームでなく個人の価値観で教育に当たってしまう場合である。
ある先生は本気で「廊下を走ってはいけない」という。
ある先生は笑って「そんなことどうでもいい」という。
子どもが混乱する。
そういった小さなことが積み重なり、結果として学校全体が荒れる。

役割分担というのは、チームの中でのポジションである。
例えばサッカーでは、主に点を取りにいく役から主にゴールを守る役まで幅広く必要である。
(「主に」と表現したのは、フォワードであっても前線から守備はするし、ゴールキーパーから攻撃が始まるからである。)
つまり、学校内、さらに学年内に、ある程度の範囲での役割分担がなされているのが望ましい。
叱るのが得意な人と、フォローが得意な人がいるものである。
それぞれの長所、適性を生かし、短所を補ってもらう。
しかも、お互いがそれをわかっているから、お互いに「ありがとう」がいえる。
だから、主に叱る役の人が損した気分にはならない。

例えば何かトラブルがあって学年集会で指導する際、びしっと叱る役の教師がまず前に出て話す。
続いて、説明し理解させる役割の教師が入る。
最後は、学年主任が全体をフォロー。
大体、そういう流れである。(ちなみに、一つ一つは短い方が良い。特に説教系には集中力が続かない。)
子どもに「先生たちはチームなんだ」と思わせたら、成功である。

家族の場合、某国民的人気漫画のように父母と祖父母、兄弟等で役割分担できればベストなのだが、現代ではここが難しい。
母子、父子家庭であれば、尚更である。
一人で何役も兼ねて子育てをされている方を見ると、本当にすごいと思う。
一人でも無理ではないのかもしれないが、大変であることは間違いない。
(一方で、チーム内で足を引っ張り合うぐらいなら、単独で育てた方がいいかもしれないとも思う。)

教師に対する荒れが見られる時というのは、ここら辺に問題があることが多い。
チーム内の足引っ張りがある状態だと、子どもが教師集団を「なめて」いる状態になりやすい。
学校や学年というチームで来られたらたまらないが、一人ずつなら怖くないのである。
教師が同僚を子どもと一緒になって馬鹿にしていたり批判したりしていたら、もう終わりである。
(子どもの目の前で配偶者あるいはじじばばの悪口を言うのも同じである。気持ちはわからないでもないが。)

現代の地域社会の弱さもここで、チームになっていないことが多い。
チームの外の話だと「無関心」になる。
外でマナーの悪い子どもに注意したら、その親に何を言われるかわかったものではないという。
だから、悪い行為をしていてもマナーが悪くても放置され、平気になっていく。
この辺りは、希薄化する地域社会の大きな課題である。

子どもに、大人集団をチームとして認識させる。
そのためには、チーム内のメンバーを子どもの前で絶対批判しないこと。
チーム教育を成り立たせる上で、大切なポイントである。

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