前号の学級づくりの話との関連。
素直であることの大切さについて。
私には、かつて6年間連続で一緒に学年を組んだ先生がいる。
私が心から尊敬している方で、周りのどの先生からも高く評価されているまさに本物の「ベテラン」である。
その先生が子どもによく言っていたことがある。
「素直が一番」ということである。
何より、それが大切ということである。
このことは、師の野口芳宏先生も仰っている。
素直な人が伸びる。
素直が一番大切。
また、「あこがれ先生プロジェクト」を立ち上げた中村文昭さんも、師匠に弟子入りした時に同じことを聞かれているという。
「君は、素直なのか?」
「俺は素直じゃない奴に教えてる暇はないんじゃ。」
「素直じゃない人間に教えても、二度も三度も同じこと言わにゃいかん。時間の無駄だろうが。」
とはっきり告げられている。
(この後、「素直さ」を試される地獄のような修行の日々が待っていたそうである。)
自分の尊敬する人々がこれだけ同じことを言っているとなると、もう確信というか、信念に近くなる。
ちなみに、この「素直」は「従順」とは違う。
前にも書いたが、良い犬のポイントは「従順」である。
飼い主に逆らうことは決してなく、命令をよくきき、言われるままに従う。
犬ならこれでいい。
人間の場合は違う。
「従順な子」は、それだけだと将来が危ない。
「飼い主」に依存するからである。
自分の頭で判断せず、たとえ間違った意見であっても鵜呑みにするからである。
いわゆる「イエスマン」である。
(ブラック企業には好都合な人材である。)
素直な人は違う。
相手の教えを、まずありのままに受け入れる。
その上で、自分でその教えをどう前向きに生かすか考えて判断し、行動する。
要は、素直な人というのは、ひねくれていないのである。
あらゆる教えに興味を持てる人である。
自分が一見知っていると思うようなことでも、自分の無知や偏見に気付き、なるほどと見直せる人である。
だから、学級づくりにおいてまず意識して育てるべきは「素直さ」である。
単純なことで、集団はリーダーの注目した方に向かって伸びるので、この性質を意識する。
授業中、どんな子どもの意見を取り上げるか。
「意見をノートに書なさい。」と指示した後に、
きちんとノートに意見を書いている子どもを指して「そのノートに書いてあることを読んで」というか、
途中で茶々を入れてきた子どもの意見を取り上げて「そうだね、それは・・・」と応えるか。
どんな子どもの姿勢を取り上げるか。
「姿勢がいい人は生き方も真っ直ぐになる」と教えた上で
「Aさん、背筋が伸びていていいね。」と言うか、
「B君、きちんと座りなさい」と言うか。
そういう諸々が積み重なり、素直な学級風土も、そうでないものも作られる。
要は、素直さは、家庭教育だけでなく、学級でも作りあげていけるものといえる。
ところで、子どもからしても「姿勢なんか悪くたって立派な人はたくさんいますよ。」と言い返すこともできる。
「これからの時代、先生に口ごたえできるぐらいでないとね」という大人の意見もある。
そういう子どもこそが可愛いと思える大人も中にはいるだろう。
しかし、である。
多くの人がそう捉えるか、ということが問題である。
将来出会う人たちが、そんな彼(彼女)を快く受け入れてくれるかということである。
まして、初対面で慇懃無礼で横柄な人間に、どれぐらいの人が「チャンスをあげよう」と思うのか、かなり疑問である。
逆に、将来そういう考えの人同士で集まって生きていくであろう見通しがあるのならば、その子どもを無理に矯正する必要はないともいえる。
本人に「余計なお世話」と言われればそれまでである。
その辺りを放置するかどうかは、学級経営上の判断である。
この素直さというのは、学級崩壊の問題とも深い関連がある。
次号は、そこに関して書いていく。
2018年2月20日火曜日
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