2018年3月3日土曜日

覚悟をもつ

全国各地で、なぜ学級づくりが成り立たない状態が起きるのか、そこにどうすればいいのかを考える。

教室内において、一番立場が上の人間は誰か。
「担任」と即答して欲しいのだが、ここをためらう人は結構いる。
「おこがましい」「偉そうな」「子どもが主役なのに」。
謙遜、卑下、意味の勘違いである。
ここが大きな問題であると考えている。

教室内で一番立場が上なのは、担任である。
大事な人間とか重要な人間、価値ある人間と言っている訳ではない。
「立場が上」の人間である。
その場で起きるすべての出来事について、責任を取る姿勢の人間である。
それが子どものはずがなく、当然、担任である。
(その上に管理職がいるという反論があるだろうが、それは教室より更に大きい「学校」単位の責任者である。
当然、担任の過失や責任は、管理職にも及ぶ。
しかし部門ごとの責任者は、その部の長である。)

例えば子どもが自分の授業中にケガをしたら、どんな理由があれど、授業者である担任の責任である。(あくまで「落ち度」ではなく「責任」である。)
反論はないだろう。
教室でいじめがあって問題が起きたら、どんな理由があれど、担任としての責任は免れない。
(誤解なきよう付け加えると、100%と言っている訳ではない。
主たる責任の所在の話である。)

子どもが慇懃無礼で態度が悪くて言うことをきかないのも、学力がついてなくてテストの点数が悪いのも、担任の責任である。
残念ながら、決して前の担任の責任ではないし、親の責任でもない。
そこでここは管理職のせいにしたいところだが、教室内に子どもがいる以上、やはり担任である。
そこは人に押しつけずに、自分で責任を取りにいくしかないということである。
(ただし、前年度までに無茶苦茶に荒れた学級をいきなり初任者や講師に押し付けるような行為は、管理職側の能力と責任を問われるところである。
そんな場合であっても担任として一旦引き受けたからには、無責任とはいかない。
そこには子どもがいるからである。)

ここの自覚ができていないと、子どもに責任を押し付けることになる。
「子どもが主役の教室」という言葉を「子どもに責任をとってもらう教室」と置き換えていないか。
子どもが主役であろうと自治を目指そうと、最も立場が上の責任者は担任である。
ここについては逃げない「覚悟」が必要である。

さて、ここまで書いたものの、そうはいっても、逃げたくなるのが現実だろう。
学級が組織として立ち行かない状態になってしまった教室で過ごす担任の精神的苦痛の大きさは、想像を絶する。
そんな時にどうすればいいか。
次号で考えていく。

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