大好きな作家である、中谷彰宏さんの言葉。
「自分は100%理解できていると思うことが、実は、コミュニケーションの拒絶になるんだ。」
この言葉が、刺さった。
なるほど、理解できていると思うと、色々な面で「固く」なる。
「わかってるってば!うるさいな!」というのは、中学生が親に放つ言葉の代表だろう。
実は、わかっていないのに、わかっていると思い込んでいることが、怒りの原因である。
自分ではわかっているつもりと思っていることをあまりに的確に指摘されたから、腹が立つ訳である。
学べるかどうかも、ここにかかっている。
誰かの話を聞いた時「それ、知ってる」という人は、もうそこから学べない。
100回聞いたことがある話でも「なるほど、そうなんだ」と思って新鮮に聞ける人が、学べる人である。
子どもに対しても適用できる。
教室の子どものことを、100%理解できていると思うと、そうでない行為に腹が立つ。
「信じられない」という気持ちになる。
実は、何もわかっていないと思えば、コミュニケーションが変わってくる。
安易に「わかっている」と思わないこと。
「わかるよ」と共感は示しても、本当にはわかっていないと自覚すること。
自分のことすらわからない自分に、他を100%理解することなど不可能だという自覚。
頭の片隅に常にもっておきたい。
2018年3月12日月曜日
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