2018年3月5日月曜日

「全員達成」の落とし穴

「担任喜ばせ組」は危ないという話を何度か書いた。
(ちなみに仙台のお二人から学んだ用語である。今月、下記のセミナーで訪問させていただく。
http://kokucheese.com/event/index/502449/

ある種の力はつくのだが、最も大切な「自発性」や「自信(自身)」という部分が抜け落ちる。
一見良いと思える状態というのは、実は危険をはらんでいることが多い。
例えばいわゆる「良い子」は「大人にとって都合の良い子」であるというのは、周知の事実である。

この辺りに関連する話。

例えば、クラス全員達成。
みんなができる。
素晴らしいこと、に見える。
いや、素晴らいことだし、すごいことには間違いない。

しかし、である。
それを目指す時、指導者はどういう心構えになってしまうか、というのが、見過ごされがちで非常に重要な問題である。

集団というのは、大体2:6:2の法則が適用される。
上2割と同時に、下2割も出るということである。
ここに善悪や正誤はなく、そういうものである。
大人集団だろうが子ども集団だろうが、30人いたら50m走のタイムが全員一律にならないというだけの話である。
少数のかなり速い人とかなりゆっくりな人、多くの集団の平均値周辺の人が出るというのが自然である。

全員達成やみんなができることを目指す時、この2割が「ボトルネック」になる。
つまり、集団の中の誰かが指導者にとっての「壁」になってしまうのである。
この「壁」を爽やかに気持ちよく越えられるならば全く問題はない。
しかし乗り越えたいのに乗り越えられない時、その相手が指導者の「敵」と化す危険を含む。
いや、子どもにとって「壁」がにっくき「敵」となり、ひいては指導者が「敵」となる可能性の方がより恐ろしい。
つまり、全員達成を目指す代償として、指導者の心が荒れて、子どもの心が荒れるという落とし穴にはまる可能性がある。

「頑張れば乗り越えられる」という考えは、一面正しい。
ただし、本人が頑張りたいと思う時だけである。
本当は頑張りたくないし大の苦手で大嫌いなのに「集団圧力」と「大人の勝手な期待」で押し潰されそうになっていることもある。
例えば私自身は長縄が大好きだが、「あれだけは心底嫌だった」と振り返る子どもだって全国に存在することも知っている。
(だからこそ、かつて指導方法レポートを公開して配布した訳である。
全国の学級に良い記録を、という願いではなく、やるからには成長と成功を願って最低限の心構えと指導方法を示した。)

これはすべてのことに適用できる。
「善意の強制」は、個々の成長を心底願っているからこそ「善意」と呼べ、許される行為である。
決して指導者の見栄や実績、目標達成のために許されることではない。

つまり、学級担任にとって、全員達成や「○○大会優勝」などは「そうなったらなったでいいかも」ぐらいの方がいい。
部活動での優勝を目指す部員や、難関校合格を目指す塾生たちを指導する場合などとは、根本的に訳が違う。

学級は部活動やクラブチーム、塾と違い、同好の士の集団ではない。
たまたま、そこに居合わせた集団である。
趣味も志向も特技も人生で目指す方向もすべて違う。

学級づくりは、そのバラバラ加減をある程度保ちつつ、何とか望ましい方向に進んでいく仕事である。
だから、この集団においては「全員」を目指すことに意味はあるが、無理が生じやすい。
そういう自覚をもつことが大切である。

だからといって、指導が及び腰になってはいけない。
それだと、つけるべき力もつかない。

譲らないところは、譲らない。
頑張らせるところは、頑張らせる。
それが「私心」によるものではなく、メタ認知的な客観性をもっているならば、大丈夫である。

その「目指すもの」が苦手な子どもは、ただでさえ苦しんでいる。
「みんな」が当たり前にできるが故に、その苦しみはますます深い。
その上に指導者から「敵」のように見られては、もうトラウマレベルである。

指導者は、常に「できない」という子どもの苦しみに寄り添う心をもちたい。
その苦しみを救う解決方法が、必ずしも「できるようにさせる」だとは限らないということである。
「みんなができる」「全員達成」を目指す時には、心の片隅に置いておきたいことである。

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