サークルでの学び。
教育の手法には、様々なものがある。
その中の何かをやってみようという人に、次のような質問を受ける。
「〇〇という手法は、どうなのでしょうか。」
答え。
まず、やってみれば?
これしかない。
なぜなのか。
第一に、その手法に対する、教師と子どもそれぞれの相性である。
やってみないことには、合うか合わないかはわからない。
服や髪型と同じで、人によって似合う似合わないがある。
さらに、ねらいが何かである。
「リーダーシップを発揮したい」というねらいと、
「子ども主体のクラスを作りたい」というねらいでは、とる手段が異なる。
昼食を「ヘルシーなランチにしたい」のか、「がっつり食べて満腹になりたい」のかである。
それぞれに善悪と良否はなく、ねらいの違いである。
ちなみに、食べ物などは、何かにつけて「諸説有り」である。
一方で身体にいいと言われているものが、他方では最も悪いとされていることもある。
そして、どちらの説にも「真実」が含まれる。
なぜなのか。
ずばり、当たり前のことだが、人それぞれ体質が違うからである。
「人間」というカテゴリーでは、大きすぎる。
ある人にとっては相性最高のものが、ある人にとっては消化できないということはよくある。
そして、クラスというのは、教師と子どもの複合体である。
つまり、同じ教師がもっても、今年のクラスと、次年度のクラスは全く違う。
だから、今年うまくいった手法が、次年度全くダメということはよくある。
ではどうするか。
手段を変え続けるしかない。
子どもによっても変える。
ある子どもには丁寧に教えて、ある子どもは見守るだけにする。
調子によっても変える。
家庭で何かあって、子どもが落ち込んでいる時は、いつものことを流すこともある。
時期によっても変える。
学級開きの4~6月と終いの1~3月で同じ訳がない。
夏の涼風快適素材を、冬に着続けているようなものである。
つまり、特に若い時こそ、自分の引き出しの中身を増やすことが最優先である。
選択肢が多い方が圧倒的に有利である。
だから、まずは、やってみる。
その上で、今の状況に合うものを取捨選択をする。
教育の手法の価値に、絶対は存在しない。
常に相対的である。
悩むぐらいなら、やってみればいいというのが結論である。
2018年3月29日木曜日
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