先日、他県の校内研修でお話をさせていただいた。
そこでの内容のシェア。
いただいた研修テーマは「対話を育む授業づくり、学級づくり」である。
今教育界でおおはやりの、対話である。
明鏡国語事典によると
【対話】
1 向かい合って対等の立場で話をすること。また、その話。
2 物事と向き合って精神的な交感を図ること。
とある。
「交感」とは「心や感情が通い合うこと」である。
つまり、それぞれが対等の立場に立って話そうとし、互いの心や感情が通い合っていくような授業づくりや学級づくりである。
これは、放っておいて自然となるものではない。
相当意図的に指導しないと、成立は難しい。
では、どうするか。
結論から言うと、やはり対話も「ルール」が肝である。
放っておいて自然になるなら苦労はない。
ルールがあるからゲームが成り立つのと同じで、野放図では目的地に辿り着かない。
まずは対話のルールを設定する。
その上で、やがてルールがなくてもできるようにするのを目指せばよい。
いきなり対話的にしようと言われても、やり方がわからないからである。
なので、初めは対話に必要なルールと手順を示す必要がある。
例えば先日の野口塾IN木更津で、国語の専門家である横田経一郎先生は、次のステップで参加者に対話のルールと手順を示した。
「リーディング・カンファレンス」(フラット3)と名付けられた、読解後における感想交流の手法である。
1 3人組になる
2 1人ずつ順番に2分間話す
3 2分間黙考
4 1~3をもう1回行う
5 フリートーク
実施上のルールがある。
「2」の2分間は、制限時間いっぱいしゃべり続けなくてはならない。
ただし直前の話を繰り返してもよい。
そして、他の2人は頷く程度の反応はしても、一切の口をはさんではいけない。
仲間が話している間は、「聴く」に徹するのである。
(ここが「フラット3」なのである。)
このルールが「対話」の重要点と難しさを体感させるのに絶好である。
聴いてもらうからには、自分自身も話す内容をもち、話し続けなくてはならない。
そして話す時間より、聴く時間の方が2倍長い。
黙って耳と心を傾けて聴くことの難しさを体験できる。
対話が成立せずにすぐに議論、討論になってしまうのは、相手の話・言い分をきちんと聞けないことに端を発するからである。
そして、「5」のフリートークにも、ルールというか「コツ」がある。
「5」では「休み時間に、友達と話すように」喋るのである。
くだけた雰囲気を作ることで、「交感」を目指す。
ここがまさに「対話」なのである。
これは、クラス会議の手法を導入する時と同じである。
話し合いの型を知る。
チャンスは全員に平等に与えられ、話すべきは話すが、基本は聞くに徹する。
言いたいことは後で言えるように、全員発言後にフリートークの場面も設ける。
こういった一切をやった上で、応用していく。
やがて、トーキングスティックや発言のルールが不要になる。
対等である意識が全員に成立すれば、円になる必要も輪番で発言する必要もなくなる時が来るかもしれない。
完成形は、いつもどんな相手とのどんな状況でも、対等に話し合って適切な問題解決ができるようになることである。
ただし、何でもいきなり一足飛びで完成形を目指すとうまくいかない。
スキー初心者でボーゲンをとばしていきなりパラレルターンをしようとするようなものである。
いきなりパラレルターンを目指してできたら楽だし格好いいが、そんなことが成立する訳はない。
無謀にも挑戦しようとしたら、大転倒して無駄なケガをするだけである。
適切な手順とステップが必要である。
つまりは、指導者の適切なルール設定による指導である。
そもそも論として、対話がなぜ必要かというものもある。
「主体的・対話的で深い学び」の内、対話的の部分だけが方法論になっているという批判もある。
全くその通りであると思う。
ただ、対話は今後必要な学力を身に付ける上で有効な手段の一つではある。
同時に、絶対の方法ではない。
目指すべきは「人格の完成」であり、あくまでそのための一つの手法であることも忘れない。
対話を育む授業づくり、学級づくりは、一朝一夕ではできない。
まずは、ルールづくり。
真の自由は単に自由にさせていては生まれないという、一見矛盾した真理に目を向けることからである。
2018年3月20日火曜日
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