2018年3月27日火曜日

早起きは、快楽。

早起きが大変だという。
決めた時刻に起きられないという。

断言する。
それは、思い込みと生活習慣のせいである。

正確に言えば、習慣の変化による思い込みである。
例えば、現代の日本人なら、スマホをもたずに駅で待ち合わせをするのは、困難だと感じるだろう。
若い人は「駅の伝言板」など、存在すら知らないかもしれない。
昔は、これが「当たり前」だったのである。
今は、「困難」になっている。

昔は、早寝早起きは、当たり前だった。
単純に、電気がなくて、夜はどこも真っ暗だったからである。
灯りとしてのろうそくやランプはあっても、基本的に外出はできないし、夜は眠るしかなかった。
そして、目覚まし時計もないから、朝陽で自然に目が覚めて、体内時計を自然調整するのである。
(これを、サーカディアンリズムという。)

早く寝れば、早く目が覚めてしまう。
別に努力もいらない。
単純な話である。
(というよりも、寝ていることが退屈すぎて、早く起きて動き出してしまう。
宿泊学習で消灯時にきちんと寝た子どもと同じである。)

早起きは、文字通り、気持ちがいいものである。
だから、早起き習慣が身についている人は、もう一生やめられない。
早朝の静寂や美しさや安らぎ、幸福感は、日中や夜に感じることが不可能である。

運動ができる。
コーヒーが飲める。
一人ゆっくり読書ができる。
メルマガを書いて、読者の皆さんに何かを届けられる。
この時間を過ごしたくて、わくわくして目が覚めてしまう。
「幸福感」というものが自然に存在するとしたら、それはきっと朝である。

こういうことを言うと、「そういう特殊な人だから」みたいに思うかもしれない。
それは違う。
早起きを「苦痛」の対極である「快楽」に位置付けて、動機付けしているだけである。
そして、何より、早く寝ているだけである。

なぜ早く帰るのか。
やりたいことがあるからである。
いつ?
その日の夕方、夜、朝である。
つまり、次の日の朝まで含めて、やりたいことがあるから、今日早く帰って寝るのである。
(私が二次会に滅多に行かない主な理由が、これである。)

夜型の人もいる。
しかし、多くの人は、違うのではないかと思う。
人間は、本来、コウモリのような夜行性の動物ではないからである。
夜は寝るというのが、人間という種としての本来のリズムである。

人間は、機械や文明の発達によって、「便利」になった。
地球上を征服し、DNA研究により、生命の誕生すら一定の範囲でコントロールができるようになってきている。
さらには、AIの台頭である。

便利の追求は、人間本来の姿を見失うことにもなる。
夜は眠り、朝は起きる。
早寝早起きという、当たり前の生活リズムを取り戻すこと。
少なくとも、過労が問題視されている教職員の幸福感にとっては、最優先で必要なことではないかという提言である。

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