早起きが大変だという。
決めた時刻に起きられないという。
断言する。
それは、思い込みと生活習慣のせいである。
正確に言えば、習慣の変化による思い込みである。
例えば、現代の日本人なら、スマホをもたずに駅で待ち合わせをするのは、困難だと感じるだろう。
若い人は「駅の伝言板」など、存在すら知らないかもしれない。
昔は、これが「当たり前」だったのである。
今は、「困難」になっている。
昔は、早寝早起きは、当たり前だった。
単純に、電気がなくて、夜はどこも真っ暗だったからである。
灯りとしてのろうそくやランプはあっても、基本的に外出はできないし、夜は眠るしかなかった。
そして、目覚まし時計もないから、朝陽で自然に目が覚めて、体内時計を自然調整するのである。
(これを、サーカディアンリズムという。)
早く寝れば、早く目が覚めてしまう。
別に努力もいらない。
単純な話である。
(というよりも、寝ていることが退屈すぎて、早く起きて動き出してしまう。
宿泊学習で消灯時にきちんと寝た子どもと同じである。)
早起きは、文字通り、気持ちがいいものである。
だから、早起き習慣が身についている人は、もう一生やめられない。
早朝の静寂や美しさや安らぎ、幸福感は、日中や夜に感じることが不可能である。
運動ができる。
コーヒーが飲める。
一人ゆっくり読書ができる。
メルマガを書いて、読者の皆さんに何かを届けられる。
この時間を過ごしたくて、わくわくして目が覚めてしまう。
「幸福感」というものが自然に存在するとしたら、それはきっと朝である。
こういうことを言うと、「そういう特殊な人だから」みたいに思うかもしれない。
それは違う。
早起きを「苦痛」の対極である「快楽」に位置付けて、動機付けしているだけである。
そして、何より、早く寝ているだけである。
なぜ早く帰るのか。
やりたいことがあるからである。
いつ?
その日の夕方、夜、朝である。
つまり、次の日の朝まで含めて、やりたいことがあるから、今日早く帰って寝るのである。
(私が二次会に滅多に行かない主な理由が、これである。)
夜型の人もいる。
しかし、多くの人は、違うのではないかと思う。
人間は、本来、コウモリのような夜行性の動物ではないからである。
夜は寝るというのが、人間という種としての本来のリズムである。
人間は、機械や文明の発達によって、「便利」になった。
地球上を征服し、DNA研究により、生命の誕生すら一定の範囲でコントロールができるようになってきている。
さらには、AIの台頭である。
便利の追求は、人間本来の姿を見失うことにもなる。
夜は眠り、朝は起きる。
早寝早起きという、当たり前の生活リズムを取り戻すこと。
少なくとも、過労が問題視されている教職員の幸福感にとっては、最優先で必要なことではないかという提言である。
2018年3月27日火曜日
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