明日から、4月である。
毎年4月は「今回で終わりかもしれない」と思って始める。
これで担任をさせてもらえるのは最後の可能性がある。
毎年、そう思って始める。
そもそも、人生自体、今日何が起こるかはわからない。
だから、一日ずつを大切に生きることができる。
どうやら今年も、着陸までいけそうな感じである。
それ自体、決して「当たり前」のことではない。
あらゆることに感謝すべきことである。
日本人には、「終わり」を想像するということを忌み嫌う傾向がある。
しかし実際に生と死は表裏一体だし、始まりと終わりも同様である。
「来年のことを言えば鬼が笑う」とも言う。
笑いたい奴には笑わせておけばいい。
いつでも、こっちは真剣である。
未来への計画性がなければ、今を生きることも覚束ない。
今に集中して生きるそのために、終わりとその先まで計画するのである。
後世に何と言われるかは、自分には決められない。
決められないからこそ、生きている間に、後々何と言われたいか考えて生きる。
今年の学級は、4月に想像していた「未来」の通りになっていただろうか。
振り返るためにも、4月のスタートには、ゴールとして目指す姿を書くことをおすすめする。
2018年3月31日土曜日
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