教育実習が終わって考えたこと。
担当した実習生たちが共通して言っていたことが
「小学校教員になりたいという思いが強くなった」ということ。
これほど嬉しいことはない。
これも、子どもたちと、関わった全職員のお陰である。
ちなみに、私が忌引した関係で、通常よりたくさんの職員に関わってもらった。
不幸中の幸いで、これが実習生にかなりのプラスの学びをもたらしたようである。
私の抜けている部分を見事に埋めていただき、帰ってきたら逞しくなっていた。
チームで育てる。
素晴らしいことである。
たまたまそういう環境の職場にいた幸いではあるが、自分もそうありたいと思う。
実習生のことについて書いたが、これはそのまま子どもへの教育にも当てはまる。
卒業させた子どもたちが、どう思うようになればいいのか。
「早く社会に出て人々の役に立ちたい」
「もっともっと勉強をして、世の中のことを広く深く知りたい」
こんな風に考えるようになったら、ある種成功といえるのではないかと思う。
またそのためには、ある先生にだけ教えてもらうより、複数の先生に教わった方がいい。
偏らずに、それぞれの価値観や考え方を学べる。
「自分のクラスの子ども」とかかえ込みすぎず、「学年の子ども」「学校の子ども」「地域の子ども」である。
ぐっと広げると「日本の子ども」「世界の子ども」である。
(これは、我が子にも当てはまる。我が子は自分の所有物では決してない。)
そう考えると、自分はそのごく一部としてどう関わり、何を教えられるか、見直せる。
結局、世のため人のために、自分を最高に生かせる人間になってもらいたいのである。
それは、教える自分自身が、そういう人間を目指していないといけない。
「主体変容・率先垂範」が、教える仕事の根幹である。
そう思うと、とても「模範」とはいえない自分がいる。
しかし、よく考えると、一生「完璧な人間」にはなり得ない。
どうせ間違っている人間なのだから、子どもにも実習生にも学べばいい。
間違えたら謝って直していけばいい。
教えたこと以上に、たくさんのことを学べた教育実習だった。
2016年12月28日水曜日
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