物理に、作用と反作用の法則がある。
物理法則だが、万物普遍の法則である。
「情けは人のためならず」の示す通り、人への情けが自分に返ってくる。
それで「また人に優しくしよう」ということになる。
また人に助けてもらえることになる。
一方「火中の栗を拾う」ことをすれば、当然火傷をする。
それで「また拾って」ということになる。
また火傷する羽目になる。
ここで、幸せについて考える。
「幸せすぎて怖い」という言葉をきくことがある。
幸せすぎるから、次は反作用で不幸が来るのではないかという考え方である。
これは間違っていると思う。
幸福の反対は不幸であるが、反作用は反対の性質のものが返ってくる訳ではない。
力に対して返ってくるのは同質の力である。
つまり、幸福の反作用は幸運である。
幸せを感じて何かをすると、いいことが返ってくる。
辛さを感じて何かをすると、悪いことが返ってくる。
これが正しいと思っている。
例を挙げる。
例えば、あるテーマで論文を書くことになったとする。
書くことが好きで、大変ながらも楽しみながら書き上げた論文がある。
これがたまたま好評で、次も書いてという話になる。
幸せへの反作用としての幸運である。
一方、書くことが嫌いで、大変な思いをして嫌々必死で書き上げた論文がある。
これがたまたま好評で、次も書いてという話になる。
辛さへの反作用としての不幸である。
起きている現象自体は全く同じなのだが、幸か不幸かは最初の力のかけ方次第である。
感謝や使命感、幸せからの反作用は、幸運で返ってくる。
嫌悪や義務感、辛さからの反作用は、不幸で返ってくる。
嫌々ながら「頑張る」ことをすれば、嫌なことがますます大きくなって返ってくる。
だから、過労になるかどうかは、その仕事内容を好きか嫌いかが相当に関係する。
好きなことを満足するまでやる。
それがこれからの時代のスタンダードの働き方になると思う。
それじゃ食っていけないという「老人」(年齢不問)のアドバイスは、きかない。
なぜなら、それは好きじゃないことをして苦労している人のアドバイス(というより小言)だからである。
選択肢は自分にある。
他の誰も自分の人生を背負ってはくれない。
自分が自分という会社の経営者である意識を持って生きたい。
2016年12月16日金曜日
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