2016年12月20日火曜日

恩恵は権利に変わる

勤務校が50周年を迎えた。
それを記念して、職員を対象に先達から学ぶという研修の機会を得た。
そこでいただいた話の数々が大変素晴らしかったので、一部シェアする。

「恩恵は権利に変わる」という、示唆に富んだ言葉を教えていただいた。
例を挙げる。
ある行事をした後に「お疲れ様です」とコーヒーを出してもらったとする。
その時、思いがけぬ恩恵に、自然と「有難う」の言葉が出る。
ここまではいい。

翌年、同じ行事に参加する。
終わった後に、特に何もなかったとする。
すると「コーヒーは出ないの?」となる。
「去年は出してくれたのに。」と不平・不満を抱く。
なくて当たり前のことのはずが、いつの間にか権利に変化している。

ごく単純化すると、そういう話である。
なるほど納得である。

ここからは私見。

こういうことは、世の中に溢れている。
社会が発達し、サービスが向上するほど起きる。
最初はちょっとした店側の心遣いのはずが、客はやがて「してもらって当然」になる。
だから「御客様」である自分が神様のように扱われないと不満になる。
それは店側のおもてなしが恩恵ではなく、権利に変化しているからである。

これがあらゆる関係で起きる。
学校と保護者の間でも起きる。
「前の担任は云々」もその一つ。
一方で「保護者が云々」も同様。
どちらも、他人に責任転嫁している点で同じである。
むしろ、互いに「いつもお陰様で」の心があって然るべきである。

学級と子どもの間でも起きる。
学校は、子どもを良くして返すのが仕事である。
いらぬ「サービス」をしすぎて「御子様」を育てないことである。
大人や社会に対して不敬な子どもを育てているのは、他ならぬ学校自身である。

視点を変えて、労働争議なども、権利を主張しすぎるとこれになる。
給料の額面に不満を訴える前に、自分が給料分以上きっちり働けているかを振り返る必要がある。
労働時間の長さに不満を訴える前に、自分が短くする工夫や勉強をしているかを振り返る必要がある。

自分が受けている「有難い」恩恵を忘れていないか。
何かの権利を主張する時は、いつでも振り返るようにしたい。

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