2020年2月28日金曜日

文脈なしの真似は、害悪

正月に行ったセミナー後の気付き。

かつて、プロレスごっこが流行っていた。
テレビで放映していたことも大きいのだろう。
私の子ども時代にも、アニメで放映されたプロレスものの大ヒットアニメがあった。

当時のお茶の間の子どもたちも当然「受けの美学」なんてことはさっぱり知らない。
しかし、アニメヒーローの「大技」には憧れる。

どうなるか。

クラスの友達に対し
「理由もなくいきなりコブラツイストや四の字固めをかけたがる」
「教室の床へパイルドライバー」
みたいなことになる。
まあ、相当危険な上に極めて迷惑な話である。

また別の例だが、小学校高学年の頃、私の友達の一人が、親と本物の相撲を見に行ったとえらく興奮して話していた。
彼をAと呼ぶ。
そこでAが「相撲とろうぜ!」と仲間に向かって言い出した。
「相撲ごっこ」は仲間内でもよくしていたので、仲間の一人Bが「いいよ」とOKをした。
(ちなみに、ちょうど校庭の砂場のところにいたのである。
放課後だったが、当時は学校の運動場に自由に出入りできた。)

「はっけよ~い、のこった!」
突然、AがBの横面を「バチン!」と思い切り引っぱたいた。
突然の事態にびっくりするB。
涙目のB。
当然である。
みんな、一瞬凍り付いた。

A曰く満面の笑みで
「相撲は、張り手をするんだぜ!当たり前だよ!」

・・・・・・
いやいや、待て待て。
そうかもしれないが、そうではないだろう。
「誰か、次!やろうぜ!」
当然、誰もやらない。

何が言いたいかというと、

「文脈なしの真似は、害悪」

ということである。

プロレスも相撲も、文字通り死ぬ気で鍛え上げた肉体同士のぶつかり合いである。
だからこそ、成立する。
張り手でびっくりしたり倒れたりするほど、ヤワじゃないのである。

しかし子どもが生半可にこれを見て真似をすると、とんでもない危険な目にあう。
それぞれの技を使うまでの土台も文脈も違うのである。

また、その技ができるからといって、それを使うべき場面というのもある。
プロレスならいきなり大技をかけるようなもので、完全に文脈から外れている。
しかも、それ一点張り。
それでうまくいくはずがない。
(そもそも勝つためだけのプロレスは、エンターテインメントになっていない。)

文脈なしで手法を真似ると、逆に大きくマイナスである。
それよりも、先に土台となる基礎を徹底的に磨き、そこから根本的な信念や哲学面を磨くべきである。
心技体をバランスよく伸ばす必要がある。

文脈なしの真似は、害悪。
ついつい素晴らしく見える実践や有名な先生に憧れてしまう若手に向けて、老婆心ながら一言申し上げる次第である。

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