私が長らく続けているクラス会議は、アドラー心理学がベースである。
この心理学の究極は「勇気づけ」から「共同体感覚」を身に付けることである。
全ての行動に目的があるという「目的論」が根底にあり、「個人心理学」と呼ばれる。
今、大学で改めて心理学を学んでいる。
そんな折に、ちょうどそこに関連した雑誌原稿の機会をいただいた。
『授業力&学級経営力 2020年1月号 子どもがなぜか動きたくなる「心理術」』
https://www.meijitosho.co.jp/detail/21118
この原稿依頼をいただいた時に、ちょっと「危ない」感じがした。
自分の原稿が誤読されて、子どもを「操ろう」という風潮が広まるとよくないと感じたからである。
心理テクニックは、ご存知の通り悪用が効く。
相手の望まない方にも心理誘導できる。
こちらの「都合のいい」状態にもっていけるのである。
例えばわかりやすいのが、褒めるという行為。
これは、心理学的には他者からの承認欲求への刺激である。
「アメとムチ」方式で「懲罰」と組み合わせて使えば、劇的な効果が出るのは周知の通りである。
劇的な効果というのは、多くの場合、劇的な副作用も含む。
つまり、これは指示待ちロボット人間を作ることにもなる。
これは、よろしくない。
心理学、心理テクニックは、人々が幸せになるために用いられるべきものである。
そこでこの雑誌原稿では、冒頭に「子どもを操ろうなどと思ってはいけない」ということを書いた。
「心理術」というと、どうしても操作的な印象である。
正しい使い方としては、良い方向に集団をもっていくために用いる、という感覚である。
そのためには、教師自身が心理術を用いて、自分自身を変えていくというのが効果的である。
例えば今回「安心感を与えるコミュニケーションのポイント」という項目があった。
そこには「ラポール形成」のための、教師の「笑顔」と「わかりやすいこと」を挙げた。
「笑顔」も、作り笑いではいけない。
笑顔になるポイントは、実は「感謝」や「リスペクト」である。
つまり、教師自身への心理操作の方が先である。
心理テクニックは、自分自身に用いるのが一番いい。
心理操作をしようと思うものと、されたいと思うものが完全一致する。
「自分にはできる」といった自己暗示やルーティーン動作などはその最たるものである。
先に挙げた教師というキャラクターが「わかりやすいこと」というのも、つまりは自己開示である。
自己開示するには、自信が必要になる。
正確には、自信というより、「自分には価値がある」という「セルフエスティーム」である。
ここがしっかりしていると、自分のありのままを出しやすい。
結論、子どもの心を操作するより、自分自身の心を操作すべきである。
教室では、変な心理操作を考えるより、基本的に本音で伝えるべきである。
まして担任と子どもはずっと一緒にいるのだから、親子関係のように、隠したところでどうせ気心は知れたものである。
他人よりも、自分自身をコントロールする方に注力したい。
2020年2月11日火曜日
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