2020年2月15日土曜日

マスクの効果と意味は別物

風邪や病気の予防の「マスク」について考察と気付き。

一般的なマスクには、インフルエンザ等の予防効果はないという説がある。
ウィルスが小さすぎてマスクのフィルターを通ってしまうからとのことである。
ただし、せきやくしゃみによる飛散を防ぐ効果があるとのこと。

どれも、自分の目で見たことではないので、真偽は定かではない。
しかしながら、「周りへの配慮」という視点からすると、マスクは意味がある。
特に、マスクに信頼を置いて用いている人に対する時には、かなりの意味がある。

「効果があるかないか」だけが問題なのではない。
「相手がどう思うか」という面を併せもつ。

逆にいえば、「風邪でもないのにマスクをしている」ということで、不快に思う相手もいるかもしれない。
自分を「保菌者」扱いしているように思う人もいるかもしれないということである。

つまり、他人視点である。
これは、社会的にはとても大切なことである。
無人島に暮らすならどうでもいいことだが、社会には他人がいる。
人と共に暮らすからこそ「人間」であり「社会」だといえる。

余談だが、公共の場でマスクをしていてもOKな国は少ない。
多くは、顔を隠している危険人物や、重病人とみなされる。

つまり、文化によって、マスクを付けることが「マナー」になったり「マナー違反」になったりする。
そうなると、もはや本来の機能である病気の予防とは別の視点である。

ファッションにも似たことがいえる。
自分がしたい恰好をするのはいい。
ただ、楽だからと寝巻のままで外をうろうろするのは、公共のマナーに反する。
つまり、それを不快に思う人がいるということである。

高級レストランでドレスコードがあるのは、そういう理由である。
ジーンズはあくまで作業着発祥であり、どんなにおしゃれなものでも「ダーティー」と見なされる。

つまりは、社会の基本は他人視点なのである。
自分がしたいことをしていいのは、自分のプライベートな空間内だけである。
公共の場では、迷惑をかけてまで自分のしたいようにしていい道理はない。

その他のマナーも全て同じである。
学校の廊下は、走ってはいけない。
「危険だから」である。

では、「自分は滅多に転ばないし、完璧に避けるから大丈夫。」という人だったらどうか。
ワールドクラスのサッカー選手などは、かなり俊敏である。
この人なら、危険じゃないから走っても大丈夫か。

答えは当然「NO」である。
まず単純に、いくら避けてくれるとわかっていても、すごいスピードで走ってきたら怖い。
そして、自分をはじめみんな守っているのに、平気で破っている人がいるというのは、大変に「不快」である。

つまり、マナーとは、周りを不快にしないことである。
それさえ守れていれば、マナーとしてはOKなのである。

そう考えると、マスク問題は、なかなかに複雑なところである。

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