2020年2月13日木曜日

いい子といたずらっ子

クリスマス前にメルマガ上で書いた記事。

クリスマスの時期になると読む絵本がある。
次の絵本である。

『サンタさんのいたずらっこリスト』
訳/石津ちひろ 絵/デルフィーヌ・デュラン 作/ローレンス・デイヴィッド 小学館
https://www.shogakukan.co.jp/books/09727359

ネタバレになるので、詳しくは書かないが、簡単に言うと
「よいことをした数より、いたずらした数が多いと、プレゼントをもらえない」
というルールがサンタにある。
これにサンタの息子(これもいたずらっ子)が納得いかず、何とかしようとする物語である。
子どもがほっとする、心温まる物語である。

この物語が問題点を指摘しているように、子どもたち(あるいは世の中)には、ある種の思い込みがある。
それは
「いいことをするのはいい子」で「いたずらっ子は悪い子」
という思い込みである。

もっというと
「いい子だと愛されて、悪い子は愛されない」
という思い込みである。

これが、思い込みならまだいい。
現実だとしたら、悲惨である。

いい子かどうかで子どもをジャッジすると、裏表のある子どもになる。
つまり、親や教師の前でだけ「いい子」を演じるようになる。

もっと可哀そうなのは、「いい子」でないと、人に愛されないという思い込みをもったまま大きくなった大人である。
いつまでも人の顔色を伺って「いい人」の自分を演じ、ストレスフルな人生になる。
(演じていることにすら気付いていないこともある。)

これは、フロイトの心理学的には「超自我」と呼ばれる部分が必要以上に大きくなった状態である。
「超自我」は、親をはじめとする社会によって規定された「規範意識」である。
ある程度ないと社会に不適応を起こす部分である一方、大きすぎると本来の自分を必要以上に抑え込むことになる。

子どもに、規範を教える。
一方で、いたずらも認める。
この両者のバランスが大切である。

子どもは、どうであっても愛される。
それが、大きくなって、大人にも適用される。
そうすれば「〇〇な人でないとダメ」ということはなくなる。

人に対する好き嫌いはあってもいいのである。
行動に対しての「NO!」があってもいい。
しかし、存在自体はいつでも肯定されるものでありたい。
例え自分と正反対の考えをもった人であっても、存在を否定する必要はない。

全ての子どもには、いい子といたずらっ子が混在する。
いい子の部分は安定と規範を担保し、社会の持続に貢献する。
いたずらっ子の部分はエネルギーと創造性を担保し、社会の発展に貢献する。

全ての子どもの全ての面に価値がある。
そこを認めていける大人集団でありたい。

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