前号の「参考になります」が目上の人に失礼ということについて、意外と反応があった。
結構、みんな意識せずに使ってしまっているようである。
ところで、こういうことを書くと
「参考は悪い言葉」
みたいに誤解されてしまうことがある。
これは断じてそうではない。
言葉自体に良し悪しはない。
使い方の問題である。
例えば「愛」がいい言葉とか「馬鹿」はだめな言葉、という訳では決してない。
言葉自体でなく、使う文脈で意味が変わるというのが大切なのである。
例えば、自分の上司に意見を述べた。
後日「参考にさせてもらった」と言われたとする。
これは、正しい用法である。
目上の人が使うには、適切な言葉だからである。
また、誰かから、何か質問を受けて自分が答えた。
それに対して
「参考になさってください。」
という。
これも正しい。
私の意見は「参考」程度であり、相手にとっては大したものではない、という意味になるからである。
つまり、自分の立場を下げて言う、謙譲のような意味合いになる。
(「参る」という言葉自体が謙譲語である。)
この手の話は、本を読めば山ほど出ている。
職員室の電話対応で「〇〇先生ですね。」「校長先生は帰りました。」と答えてしまうというのも、「若手あるある」である。
(普段目上の人を、場に応じて呼び捨てすることに慣れていないためと思われる。
自分もかつてやっていたのでわかる。)
とにかく、知っているか、知らないかの差である。
人間性の差ではない。
知識の有無は、馬鹿にできないほど、物事の明暗を分ける。
世の中は、知らないことだらけなのだから、一生勉強。
子どもに普段から「勉強は大切」と力説する所以である。
2020年2月22日土曜日
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