2019年5月25日土曜日

悲観的に最悪を想定して、最高の準備をし、楽観的に臨む

タイトルの言は、5年ほど前に東京教師塾というところで、塾頭の原田隆史先生に学んだ言葉。

「悲観的に最悪を想定して、最高の準備をし、楽観的に臨む」

これがどこか一つでも違うと、望まない結果になる。

例えば
「楽観的に最悪を想定しない」する。
そうすると「予想外の事態」が増える。
対応が遅れる。

天気予報もみないで「空が青いから大丈夫」と出かけたら後で大雨、というパターンである。
教師の場合だと、通知表のミスで大きな手間をとったり、家庭への連絡不備で連絡網を使用、というようなパターンである。
どれも注意深く事前チェックをしていれば、防げるミスである。

例えば
「最高の準備」をしないとする。
想定通り最悪が起きた時に、手が打てない。
「ほら、やっぱり起きた」と嘆くだけになる。

先の例だと、雨が降りそうだけど傘を持たないで出たら大雨、というパターンである。
教師の場合だと「やっぱり授業がうまくいかなかった」というパターンである。
(準備していないのだから、それはそうである。)
具体的に準備の行動を起こしていれば、防げるミスである。

例えば「悲観的に臨む」とする。
そうすると、見方がマイナスになり、固くなる。
最悪を想定して準備はよくしているので、失敗しまい、予定通りにいかせようと、「必死」になる。
楽しくないのである。

先の例だと、ばっちり準備はしているのに、常に雨が降ることを不安に思っている状態である。
教師の場合だと、授業研で常に「指導案通り」を目指して、脱線を恐れながら授業している状態である。
(この場合、本当は価値のあるかもしれない、子どものユニークな言動は黙殺される。)
最悪も想定して十分に準備もしたのだから、後は流れに身を任せて楽しむのが正解である。

経験が浅い状態ほど、「楽観的に臨む」の部分が難しい。
それでも何か想定外が起きる気がするからである。
それを潰すには、準備しかない。
「後は神頼みぐらいしかできない」という状態まで万全にしておく。

少し慣れてくると「悲観的に最悪を想定」が難しくなる。
これまでの経験値から、「これぐらいで大丈夫」と考えるようになるからである。
「一時停止」とかかれていても「いつも誰も来ないから」と突っ込むようなものである。
慣れてきた時がケガをする時である。

かなり経験を積んでくると「最高の準備」が難しくなる。
どれも何となくできてしまうからである。
「変化なし」「例年通り」という、一番恐ろしい慢性病にかかる。
どんなに年齢を重ねても、死ぬまで学び続ける人との違いである。

自分はどのフェーズにいるか、客観的に把握すること。
その上で最高の準備をして、変化を起こすこと。

昨年度と同じことは、極力しない。
この職業の場合、過去の成功パターンにしがみつくのが一番危険である。
なぜなら、毎年違う子どもを相手にする上に、子どもは成長スピードが大人とは桁違いだからである。

常に学び続けること。
これこそが、不安をなくす唯一無二の方法であると考える。

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