学級で、チューリップを育てていた時の話。
ある朝、子どもが「ハチがいた!」と興奮気味に報告しにきた。
ハチが、怖かったようである。
「危ないよね!危ないよね!」と言いたかったようである。
そんな日にした朝の話。
「虫は、花のお友達です。
虫のおかげでおいしい実がなったり種ができたりという植物がたくさんあります。」
ここで子どもから「あ。花粉がつくから?」というつぶやきの声が上がった。
よく知っているものである。
「そう。
例えばハチもそうですが、花の真ん中にとまると、花粉というものが脚につきます。」
黒板に花の絵(というより図形)を描き、黄色の色チョークを塗った。
となりに別の色で花をかく。
そして、手を虫にみたて、掌で花から花へ移る。
色チョークの粉が移る。
「こうすると、花粉が別の花に移ります。
すると、実や種ができるのです。
だから、花にとって虫はとても大切なお友達です。
そっとしておいてあげてくださいね。」
さらに、大抵のハチは刺すと自分が死んでしまうため、手を出さなければ滅多に刺さないことも話した。
(以前、自分がいたずらで小さなハチを手で捕まえてみて、手の中で刺されてえらい目にあった話もした。
むしろ、こういう話の方を子どもは好む。)
さて、理科的な話をした訳だが、実は真意はそこではない。
大切なのは、ハチはハチのままで、生きてるだけで花の役に立っているということである。
しかも、花の役に立とうなんて微塵も思っていないことである。
一生懸命生きているだけで、結果的に役に立っているということである。
刺したりなんだり悪い面ばかり見てしまうが、それは人間であるこっちの勝手な解釈である。
すべての命は、全力で生きることで、誰かの役に立っている。
むしろ、自然と役に立ってしまう、という方が正確かもしれない。
自分らしく生きること。
同時に、他を幸せにすること。
それは、人に役立とうと自己犠牲をしたり、他に不自然を強要されたりするのではなく、ごく自然に生きることではないかと思う。
2019年5月13日月曜日
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