昨年度、1年生の長縄大会があった。
3分間の8の字跳びである。
さて、こういうだけで、よく聞かれる。
「何回跳べたのですか?」
まあ、ネットで「8の字跳び10の基本技術」とか書いて発表しているぐらいだから、その質問が来るのも当然である。
はっきり言う。
どの人のどの学級の実践であっても、跳んだ回数自体は、どうでもいい。
大切なのは、その回数に至るまでの「文脈」である。
冷静に考えて、大人になるにあたり、8の字跳びをすることはない。
やる機会もきっとないし、必要もない。
では、なぜやるのか。
子ども集団が、それを通して成長するからである。
その中で、個が成長するからである。
子どもの育ちがすべてである。
さて、この集団縄跳び系は、かなり注意して指導しないと、この点で相当なマイナスになる。
子どもの集団に対する所属感の減退や、学校教育への不信感を強める可能性が出る。
こうなると、本来のねらいと効果が真逆である。
なぜなのか。
特に幼いほど、他人が「できない」ことに対して責める姿勢が出るからである。
逆に高学年は、「できない」ことに対して、必要以上の自責の念が出るからである。
ここに配慮していかないと、相当失敗する。
ものすごい記録が出て大会でも一位だけど、大失敗という事態も考えられる。
終わってから「これでもうやらなくていいんだ!」という声が出るようでは、まあ失敗と考えてよい。
あるいは、自分が成功したから周りを見下すようでは、最悪の大失敗である。
これは、あらゆる集団指導や部活動、勉強等にもいえる、共通指標である。
成功した自分は偉いんだとか、大学に入ったらもう勉強しなくていいなどと、思わせるようでは、教育の大失敗の極みである。
この辺りの配慮なくして取り組むと、実はマイナスの教育になっている可能性がある。
では、跳ぶのが苦手な子どもに対してはどうするのか。
長くなったので、次号で紹介する。
2019年5月19日日曜日
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