2019年5月15日水曜日

楽しい学校とは

楽しい学校とは何か。

勘違いしやすいのが、テーマパークや高級旅館のような楽しさ。
サービスを受ける楽しさである。
全てが完璧にお膳立てされていて、魔法にかけられたような気分になる。
お姫様、王様気分になれる。
リラクゼーションやマッサージも方向性は同じである。
自分を労わるという点に価値があるが、学校教育のもつ役割とは違う。

これらの楽しさは、サービスする側にほぼ全てがかかっている。
生産者と消費者の関係である。

学校とは、子どもをサービスの受給者、単なる消費者にする場ではない。
よき消費者であると同時に、よき生産者になる場である。
意欲的・主体的に学ぶとは、生み出す側、提供する側の楽しさを学ぶことである。

子どもに、どんどん問題を出す。
子どもはそれを解く。
○か×かを判定してもらう。
もっと面白い問題を要望する。
これは子どもにとって楽しいのだが、常に受け身である。

本当は、自分がその側にも立てたら、もっと面白い。
自分で問題を作る、出す。
教える。
解き方を一緒に考える。
○や×をつける。
相手の喜ぶ顔を見る。

教師は、その一番おいしいところを、独り占めしている可能性を考える。
事実、大抵の教室の一番の「おしゃべり」で「でしゃばり」で「仕切りたがり」の「目立ちたがり」は、教師である。
(私自身も御多分に漏れないため、はっきりと言える。)

楽しい学校。
それには、野山や海のような学校を想像してみる。
材料も場も豊富にある。
しかし、何もやるべきことは用意されていない。

とりあえず火を起こすとして、そのための薪でも集めるか。
キノコや木の実、海の中の貝や魚をとるのもいい。
暇なら、ブランコでも作ろうか。

あまりに自由度が高すぎるなら、方向性の課題だけを与える。
「おいしい料理を作ろう」とか、「みんなで遊べるアスレチックを作ろう」とか。

実際に野山に行くのではない。
あくまで比喩である。
教室で、授業で、こんなことがやれたら素敵だと妄想してみる。
現実的かどうかは一旦脇におく。

子どもの本当にやりたいことを実現できる場になったら、学校は本当に楽しい場になるはずである。

勉強が、楽しい。
学校が、楽しい。
それには、学校が
「自分が自分らしく在ることができる場」
「役割をもって力を発揮できる場」
であることが大切である。
自分が学校に行く意味を見出せなくなったら、意欲が下がるのは当然である。

楽しい学校は、自分たちで作る。
大人も子どもも、同じ方向を向いていけたら、きっと実現できるのではいかと思う。

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