2019年4月6日土曜日

見えないから教えて

何かの問題が起きる。
その時「気付かなかった」というのは、最もお粗末な言い訳になる。
(一方、気付いているのに放置していた、というのは道徳的な面で問題である。)

気付くのは、努力ではなく、工夫。
気付かないのは、心がけの問題というより、工夫が足りないのである。
気付けない仕組みを変える工夫である。

例えば、今児童へのアンケートは義務化されている。
いじめや虐待の発見につながるからである。
有効な手段の一つである。

いじめや虐待は、学校の目の届かないところで行われる。
わかるようには、絶対にやらない。
どんなに目を凝らして監視しても見つからない。
この自覚の上に立つから、書かせるという工夫が出る。

子どもと保護者から何かしらのサインが出る。
そこに気付ければ、初めて有効な手をうてる。
軽視しないことである。

私の新刊の表紙には
「いじめはやめよう」
ではなく
「見えないから教えて」
という対応の例が出ている。
(『お年頃の高学年に効く!こんな時とっさ!のうまい対応』
https://www.amazon.co.jp/dp/4181406237

この対応は、教師にいじめは見えていないという「あきらめ」にも似た自覚がベースにある。

いじめ対応をあきらめるのでは決してない。
いじめは教師の目だけで発見できないことを「明らかに認める」のである。
それが、いじめ対応をあきらめないという姿勢につながる。

人に頼れない性格だと、これができない。
全部自分で、という責任感は、結果的に無責任にもつながる。

人を頼る。
子どもを頼る。
保護者を頼る。
だからこそ、教師も頼られる。
支え合う関係なのだから、当然のことである。

見えないから教えてもらう。
子どもや保護者の力を信頼する。
学級経営、生徒指導の要点である。

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