2019年4月17日水曜日

その手法の根拠を問う

読者の方から、一つ問題提起となるメールが来た。
一部改変して紹介する。

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うちの子が通う小学校では、運動会の徒競走は、事前にタイムを測って、遅い順から組ませている様子です。

なぜそんな事をする必要があるのか、とても疑問です。
運動会で花形になる子達がいていいじゃないか、みんなですごいね!と言ってあげればいいじゃないか、と思ってしまいます。

そして、もっと怖いと思う事は、子ども達がそのやり方を知っていて、タイムを測る時に、力を抜いて走るのです。
子ども達が、それを自慢げに話しているのを聞き、愕然としました。
「だから今年は1位取れそう」って。

これって完全に真逆のメッセージを子ども達に伝えていませんか。
他の学校でも聞いた事があり、このやり方は、よくあるやり方なのでしょうか。
そして、何か理由があるのでしょうか。
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どうだろうか。

この指摘の通り、本来目指す方向と真逆に育つ。
子どもは、賢いのである。
子どもにとって、運動会の徒競走の順位は、結構な重大事である。

なぜ教師の側もこの方法でやるのか。

そこについて、特に深く考えてない、あるいは気付いていないからである。

教師の立場をかばう訳ではないが、そこに悪意はない。
むしろ、「こうするとよいだろう」という善意である。

なぜ?
気付いていないからである。

理由は?
深く考えていないからである。
前例にならってしまうからである。

何のためにやるのか。
それは、子どもが逆の方向に育たないか。
そこに思いが至らないのである。

こういうことは、学校の中に結構な割合である。

「毎年そうだから」とか「ずっと前から当たり前」とか「思い付き」とかでやっていないか。
いつもやっていることを、「当たり前」で片付けてしまう。
反省的思考がないこと自体が問題なのである。

競わせたりランクをつけたり点数にこだわったりする際、この「負の教育効果」を発揮しやすい。
行うならば、子どもの思考と心がそれでどう育つか、結果をよくよく考える。
特に能力別のグループ分けや序列は、かなり慎重に方法を検討しないと、大失敗しやすい。

それは本当にいいことなのか。
あるいは、本当にいるのか。
何のためにやっているのか。
当たり前のように採用している方法すべてに必要な「仕分け・検討作業」である。

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