2019年4月23日火曜日

足し算より引き算で考える

ある企業の方から頂いた言葉。

「松尾さんは、引き算の人だよね。」

確かに、普段から「足し算」よりも「引き算」で考える習慣がある。
『「捨てる」仕事術』も、引き算の本である。

学校は、基本的に足し算が多い。

新しい学習内容が増える。
行事も増える。
前のものをなくさずに、どんどん付け足していく。

指導案一つとってもそうである。
様々な人からの「指導」「助言」が入り、言葉がどんどん付け足される。
そうすると、読む気のしない分量の指導案ができる。
一般企業の方に見せたら多分「A4用紙1枚以内でまとめられる内容だよね」と言われる。
(企画は1行で書け、という人もいるぐらいである。)

学校現場は「ハウルの動く城」みたいになっている。
何かの魔法がかかっているらしく、なぜか持ちこたえているが、今にも自重で潰れそうである。

引いた方がいい。
捨てた方がいい。
本当に大切なものが、埋もれて見えなくなってしまっている。

教育用語も、どんどん新しいものが出てくる。
新しいために明確な定義がない。
意味不明なので、有識者が何とか意味をつけ、定義づける。

しかし次々に出版される「〇〇とは」の数々を必死に読んでも、多くはやはり意味不明である。
(そもそも教師の側は足し算の日々に忙しすぎて、それを読む時間も意欲もないかもしれない。)

「あなたの頭が悪くて理解できないだけだ」と言われるのが怖いので、とりあえずわかったふりをする。
嘘と偽りの厚塗りである。
そのうちみんな「カオナシ」みたいになるかもしれない。

例えば物が増えるのも、足し算発想である。
足し続ければ、当然物が溢れる。
引き出し自体の大きさは、決まっているからである。

人間関係の広がりも、足し算である。
SNSは、やっているだけで、どんどん「友達」が増えていく。
「♪ともだち100人できるかな♪」も、余裕である。
年賀状は、丁寧にやっていれば、年々着実に枚数は増えていく。

それを、喜びと感じられるなら、足していけばいい。
しかし、重荷や窮屈さを感じるなら、引く必要、加えて、足しすぎない工夫がいる。

引き算の人。
人によっては「冷たい」「ドライ」と受け取るかもしれない。

引き算の発想では、余計なところに熱を注がない。
引くことによって余力の熱が生じる。
それを、集光レンズのように、本当に必要なところにすべて注ぎ込む。

教育の新用語が出てきても、焦って何か新しいことをしようとしない。
逆に、余計なものをやめる方が先である。
そうすれば、空いた余白に何か書き込めるかもしれない。

例えば「宿題」とか、もう存在自体を相当に見直す時期に来ている。
昭和の時代と違い、授業時数も増え、習い事も多種多様になった。
子どもの放課後の自由時間というものはほとんどない。
子どもの側にも親の側にも、あれに割く余白の時間がないのである。

引き算の人。
とても気に入った。
力強い言葉は、いつでもシンプルである。

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