2019年4月13日土曜日

桜梅桃李

私の大好きな、ある作家の言葉を紹介する。
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先生の一番大きな役割は、子供が持っていないものを教えるのではありません。
子供が持っているものをほめてあげることなのです。
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教えるということは、外的に何かを装備させていくようなことではない。
車をいじって改造したり、洋服を素敵にコーディネートするのとは違う。

教えるということは、内的なものを引き出す作用である。
植物が枝を伸ばし、葉をつけ、実をつける過程と同じである。
教える側ができることは、土づくりから始まり、水やりを続け、日を当てることである。
実りを待つ作業である。
当たり前だが、別で出来上がった実を枝にひっかけることではない。

「桜梅桃李」という言葉が好きである。
そのまま「おうばいとうり」と読む。
それぞれが独自の花を咲かせる、という意味である。
桜に桃の実をつけろというのは、愚か者の言うことである。
李(すもも)に桜の花を咲かせようとするのは、不可能である。
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李だから、素敵なのである。

単純に植物と違うのは、人間の方がかなり多様性があることである。
例えば、同じ親から生まれた兄弟の持つ能力は、大抵、真逆である。
兄はこうなのに弟は、ということがよくある。

比較が無駄なのである。
兄弟といえど、全くの別種とみなすのが正しい。
同じなのは、環境だけである。
環境が同じなのに、全く違う育ちをするのが、別種という証である。

教える立場にある人は、これを忘れないことである。
あくまで持っているものを褒める、認める。
子どもの能力を「引き出す」作業である。
つまり、前段階として「見抜く」という技術がいる。

もっと前の段階として、再三述べている「存在を認める」がある。
とにかく、存在価値があるということ。
これから伸びてくるから大丈夫と、何度でも言うこと。

実は子ども以前に、大人にこそ伝えたいメッセージである。

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