2018年8月27日月曜日

子どもも大自然と思え

タイトルは、新宿での定例セミナーを主催してくれている友人に聞いた言葉である。
この人が尊敬する、ある先生から教わった言葉だそうである。

どういう意味か。

自然は、人間には操作できない。
人智を越えた領域である。

夏は暑いのが嫌とか梅雨が嫌とか言ってもどうしようもない。
台風にあっち行けという訳にもいかない。
嫌でも地震も雷も起きるし、噴火も起きる。
自然というのはそういうものである。

そして子どもも、大自然の一部であるという考え方。
確かにその通りである。
操作できる訳がないし、理解しきれる訳がない。
そう考えると、見え方も変わるし、対応も変わる。

そもそも、自分自身でさえ、ほぼ理解しきれない。
指一本動かせる仕組みも、考えられるという仕組みもよくわからない。
心臓が動いてくれたり、胃が消化してくれたりする仕組みも、何もかもよくわからない。
寝ている間も24時間はたらいてくれて、息をするのも忘れることはないし、ありがたい限りである。

つまりは、よくわからない自分が、よくわからない相手に教えているわけである。
そんなの、よくわからないに決まっている。

よくわからない教師が、よくわからないながら子どもに教えている。
よくわからない親が、よくわからないながらわが子に教えている。
よくわからない上司が、よくわからないながら部下に教えている。

よくわからないなりに、「こういう場合もあるかな」「こうかもな」という経験的知識があるだけである。
当てはまらない場合だってたくさんあって当然。

相手は、「大自然」なのである。
こうすればこうなる、が通用しなくて当然。
こういったのに、やったのに「お。そう来たか。」である。
自然は、常に変化し続け、この世に二つと同じものがないのである。

「大自然」である他者を自分がどうこうできるということ自体が、傲慢であり錯覚であるのかもしれない。
親や教師というのは「大自然」である子どもを一時的とはいえ預からせていただける。
これ自体、重要かつ大きな仕事である。

目の前の子どもも、大自然。
そう思うと、畏敬の念も湧くし、ある種の余裕ができる。
教育観を広げる一つの考え方として有益ではないかと思い、紹介してみた。

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