2018年8月3日金曜日

「1年生だから〇〇できない」論は、大抵嘘。

1年生からの学び。

「1年生だから〇〇できない」論に、長い間疑問を抱いていた。
しかし、1年生を担任したことがなかったため、はっきりと反論できないでいた。
「1年生には無理」という、とりつく島もない言葉に対し、為す術もなかった。
今年は、そこに対しての様々な「検証」ができる有難い環境である。

さて、1年生はいかにして「自分たちの学級」を作り上げていくのか。
これは、大人や上級生に頼っている内はできない。
「1年生にはできない」と思っている内は、できない。
1年生を、なめてはいけない。

連合艦隊司令長官、山本五十六の次の言葉が大変役に立つ。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

要は、「信じて任せる」を増やすことがポイントである。
そして「ありがとう」の一言を忘れないこと。
子どもは、小さな成功体験、人の役に立ち感謝される経験の積み重ねで、自己肯定感を育んでいく。

勉学やスポーツができることは価値があるが、それだけでは自分のためでしかない。
「人の役に立てている実感」「感謝される経験」が大切である。
サッカーで言うなら、一人でドリブルで何人も抜き去ってシュートを決める体験と、スルーパスを仲間が決めてくれた体験は別である。
どちらもチームの役には立っているが、前者は自分の能力への自信を得る体験となり、後者は仲間への貢献感がより強くなる。
勉学でも、自分ができるだけでなく仲間への貢献ができる活動をプラスすれば、所属感も自尊感情も高まる。

人の役に立つ活動を、どんどんさせることである。
当番・係活動はその最たるものである。
「あなたがいないと始まらない」という状態を作る。

教えて役割を任せたら、とりあえず手を出さないで我慢して見守る。
本当はすぐに教室の電気をつけたくても、電気係がいるから敢えてつけない。
気づかないようなら、「ごめんね、つけちゃった」と声をかけてやっていれば、やがて気づく。
「言われる前にやれるのが本当の当番・係」ということも教える。

手を出さないことである。
大人が我慢できるかが勝負である。
特に幼い子どもは、手を出してあげたくなってしまう。

しかし、相手を一人の役割を担った人間と見て、信頼して任せる。
下手くそでもいいから、やらせる。
やったこと自体を認めていく。
どんどんうまくなることを伝える。
この繰り返しである。

「1年生だから〇〇できない」論は、大抵嘘というのが、ここまでの実感である。
要は、教師が手出しを我慢できるか、必要な場面で導けるか。
もしうまくできないとしたら、こちらのやり方に問題があると考えるのが自然である。

1年生でも、できる。
ありとあらゆることを、任せられる。
まずは教えることと、その後の信頼感が成長のポイントであると実感している日々である。

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