2018年8月15日水曜日

戦争における「全体最適」は存在し得るか

終戦記念日ということで、長文。

部分最適と全体最適の話の続き。
昨日の長崎の原爆記念日と関連し、この視点から戦争について考えてみる。

戦争における国家レベルの部分最適とは、それぞれの国の「正義」あるいは「勝利」であると仮定する。
そしてその上位にある世界レベル、あるいは地球レベルにおける全体最適が「終戦」あるいは「平和」に当たる。

ただ、終戦さえすれば必ずしも全体最適という訳ではない。
終戦しても、戦争中に命を失った人がいたのなら、それは世界全体から見て完全な失敗である。
戦争中に土地を汚染したとなれば、地球レベルでみて全体最適とはとてもいえない。
「終戦によって世界が平和になった」というのは、強者の論理であり、戦勝国の部分最適でしかない。
原爆投下による終戦は、どう考えても部分最適でしかなく、全体最適にはなり得ない。

平和的な終戦、つまりは戦争における世界レベルでの「全体最適」とは何か。
それは、誰も傷つかないで終戦を迎えること。
不可能なことであり、完全な絵空事である。

かつて米ソ間であった、冷戦はどうか。
これは、二国間で直接戦火を交えていないものの、大量の核兵器を生み出した。
地球レベルで完全に失敗である。
しかも、周辺国で二国の代理的な戦争が大量に勃発している。
世界レベルでも完全に失敗である。

結論。
戦争になってしまった時点で、もはや全体最適は全く望めない。
特定の国のみが利益を貪る部分最適にしかなり得ない。

そしてあらゆることにおいて、部分最適は、全体最適にならない。
全体最適を考える時、常にその構成要素である部分は、一定のコストを支払う必要が出る。
戦争の例なら、双方が自国の利益を手放すほどに、全体最適の度合いは高まる。
真剣に全体最適を考えるなら、部分最適を望まないことである。

戦争は、エゴイズムの極致である。
根源は、自分だけがいい思いをして、相手はどうなってもいいという思いから起きる。
つまりは、人の心にエゴイズムがある以上、どの国でいつ戦争が起きてもおかしくないということである。
現代の日本にとっても、決して無関係ではないということである。

戦争は、自国だけでなく、他国の為政者や権力者によっても引き起こされる。
いざ非常事態に陥ってしまった時、一国民には戦争の是非を選ぶことができない。
例えば、今アフリカの少年兵士たちが、好き好んで銃を持って戦っているとは思えない。
黙っていても、自分と家族、身近な人が攻撃される。
やられないために動くしかない。
互いの兵士が、同じ立場になる。
前号でも書いたが、非常事態においては個人の部分最適は優先したくてもできない。

異常な状況下において、個人の意思や信条、人権は全く尊重されない。
よって、戦争を経験していない我々には、戦争で死んでいった人々のことをどうこう言う権利はない。
想像を絶する異常事態の中で、それぞれが何を願って行動して死んでいったかは、わからないのである。

戦争を避けるには、全体最適を考えること。
自国のことだけでなく、他国のことも考えること。
これは、日本国憲法の前文にも書かれていることである。
以下、引用する。
============
(引用開始)
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
(引用終了)
=============

ところで、日常生活において他国のことまで考えて生きるというのは、なかなかに難しい。
まして、今日を生きることにも精一杯という状況下の国の人々が、考えられるはずがない。
世界平和のことより、まず自分と家族が死なないことが優先である。
つまり、少なくとも今「平和」と感じられる状況下にある国の人々の方から、歩み寄って動く必要がある。

実際、具体的にどうするか。

ミクロから、だんだんマクロに考えていく。
自分自身だけでなく、家族など身近な人々のことも考えること。
友人・知人のことも考えること。
会社や学校、近所の人のことも考えること。
通勤途中の電車でたまたま一緒になった見ず知らずの人、途中で買い物したお店のレジの人のことも考えること。
全然見ず知らずだけど、災害に遭って困っているらしいという人々のことも、時に考えること。
自分が生まれる以前のことだけど、戦争で亡くなっていった人々に、時に思いをはせること。
そういう身近なところから、少しずつ自分の中の「全体最適」の規模を広げていく。

特に自分から遠く、規模が大きくなると、大したことはできない。
被災地に義援金を送るだけでもいいと思う。
広島や長崎の平和祈念式典に乗じて、テレビの前で一緒に祈ることでもいいと思う。
ニュースを見て、戦争中の国のことを知るだけでもいいと思う。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ。」という有名な言葉がある。
ひっくり返すと、一人一人が関心をもつことで、世界の無益な争いを減らすことができるかもしれないということである。

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