教育実習からの学びシリーズ。
体験の有無の大切さについて。
実習生に指導をする。
学級経営のこととかを、色々教える。
初任の時に教壇に立つ前に、なるべく多く教えておきたいと思う。
ただ、本当は、実際に今担任をやっている人になら、もっと教えられる。
その差は、体験の有無である。
何でもそうだが、実際にやっている人に教えるのと、やったことのない人に教えるのでは、全く違う。
「感覚」がわからないのである。
例えば武道で「膝を抜く」という感覚があるそうだが、それについて説明しているものをどう読んでも実感が湧かない。
きっと武道をやっている人間にしか、教えられてもわからない感覚である。
一見簡単そうに見えることが、実際やると、とんでもなく難しかったりする。
見るとやるとでは、雲泥の差である。
だから実習生にはまず一回、なるべく早い時期に授業をやってもらう。
そうしないと、教えようがないからである。
正規の教員の授業をどんなに見ても、「あれぐらいなら普通にできる」気がするものである。
この見方は、自分たちにも応用できる。
例えば、上司を見て「もっとこうやればいいのに」と部下は思う。
そういう部下が上司の立場になった時、本当にそれがやれるかという話である。
立場が違うと、見え方が違う。
時に、子どもの立場になって授業を受けて見ることも大切である。
人の授業を受けていると、自分の欠点が見えてくる。
実習生や初任者がやるような初歩的なミスを、自分も結構やっているものである。
子どもには、大人の立場をやらせてみるのも手である。
人前に立たせ、何かを教えさせてみれば、人に話を聞かせることや、教えることの大変さがわかる。
料理を作ってみさせれば、作る大変さだけでなく、食べてもらう時の緊張感と満足感、片付けの大変さまでわかる。
掃除でも買い物でも同様。
やってみれば、実感としてわかることがたくさんある。
まず、やらせてみる。
その上で、必要感を引き出してから、初めて教える。
そのまま、授業の組み立て方の基本でもある。
2017年12月9日土曜日
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