伸びる人と言い訳の相関について。
やらないことや失敗に関して、色々理屈をこねる人は、伸びない。
自分がやらなかったからやらなかったのである。
自分のやり方がダメだったから失敗したのである。
自分の人生なのだから、原則、それ以外にはない。
子どもでも大人でも同じである。
忘れ物一つとっても、忘れた理由から述べる必要はない。
「お母さんが昨日・・・」から入って、その説明の時間が長いほどに怒られる確立を高めていることを教える。
忘れ物をした時の報告の言葉は一言「〇〇を忘れました。」である。
それ以外はいらない。
続く言葉の「申し訳ありません。」を併せて教えてもいい。
報告と謝罪の二つの仕方だけ教えれば十分である。
どうすればいいかを決めて、後は自分でできる限りの責任を取らせればいい話である。
(この辺りは、方針や状況に応じて、である。)
単純な一つの仕事を、いつまでもやらないで〆切が過ぎてしまう。
なぜなのか。
「〆切前日に、風邪を引いてしまったからできなかった」と答える。
それはそうかもしれない。
しかし、それ以前にやる時間はあったはずである。
要は、自分の無計画のせいである。
遅刻も同じである。
電車がたまたま遅れたのかもしれないが、その電車に毎日乗ることを決めていたのは自分である。
そのミスをしたくない人は、いつも早めの電車に乗っている。
遅れた事情自体は話す必要があるが、色々あっても結局は自分の責任である。
電車のせいではない。
要は、言い訳をする人は、伸びない。
全てを他の責任に転ずるからである。
(これは、実際大得意な人が多い。論理的思考のマイナスフル活用である。)
人生のハンドルを、コントロール不能な他人に委ねてしまうことになる。
素直な人は、言い訳をしない。
全てを自分の責任として捉える。
人生のハンドルを自分で握り、コントロール可能なことに集中する。
「素直な人は、伸びる」という大原則の裏返しである。
言い訳をしないこと。
素直な人は、伸びる。
実習生にも子どもにも教える、基本的な心構えである。
2017年12月7日木曜日
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