授業における「逆転現象」の大切さを説いて書いたのは、大森修氏である。
「コペルニクス的転換」という言葉もあるぐらい、逆転には価値観を一変させるインパクトがある。
ここに関連して、4年生の概数の学習において、自分の中での鉄板ネタがある。
「上から2桁の概数にする」という学習である。
例えば日本の国土の面積(平方キロメートル)ならば
377972
↓
380000
となる。
これ自体は、そんなに難しいことではない。
そこで、次のような問題を出す。
「9.89ならば?」
これも、あっさり9.9と答える。
小数点が入っても、上から2桁と確認する。
「10.89ならば?」
ここで少し0をどうするか迷うが、
「途中の0は、ユーレイの0ちゃんだから、見えないけど、いる。」
ということで、0を2桁目とカウントし、答えは11で落ち着く。
次からが本題。
「0.589なら?」
これは、0.6と0.59という二つの意見に割れる。
なぜそうしたか、それぞれ理由を聞く。
先と同じように0を1桁目として数えるというAの意見。
この場合は0を「ない」とみなして、数えないというBの意見である。
ちなみに、毎年、Aが圧倒的多数で、Bは少数派になる。
Aは多数なので得意満面、Bは少ないので、自信がなさげである。
正解は確認せずに、次の問題を出す。
「0.0589なら?」
Aが0.1、Bが0.059となる。
ここで、A派の一部が少し迷い出す。
この場合の「0.1」が、概数としてざっくりすぎると感じ始める。
「やっぱりBかも・・・」とつぶやく子どもが出始める。
ここも、正解は示さない。
次である。
「0.0489なら?」
Aが0、Bが0.049となる。
ここで「四捨五入とはいえ、0になってはまずい」ということで、Aはかなり揺れる。
どちらが適切かを考えさせて話し合う。
これはやはりBであるということに落ち着き、どうやらの「正解」にたどり着く。
ここで、コペルニクスとガリレオの地動説の話を少しする。
学問においては、多数派が正しいとは限らず、自らの頭で真理を求めようということ。
学問においては、「無知の知」が大切ということ。
自分が無知だと自覚しているからこそ、素直に謙虚に学べる。
別に最後の説法は好みなので必要ないかもしれない。
しかし割と高学年でも盛り上がる鉄板逆転ネタとして、おすすめである。
2017年12月25日月曜日
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