次の言葉は、山口県の福山憲市先生からの学び。
特別支援は、全て「選ぶ」教育。
「やらされた」と思った瞬間に、落ちる。
特別支援教室の学級の指導法に、全ての基本があるという。
普通は1段でのぼれるところにも、100のステップを入れるのが特別支援。
だからこそ、通常学級で同じように困っている子どもにも対応できるという。
自分で選択したと思えば、それをやれる。
しかし、やらされたと思うと、全くやらなくなる。
だから、一つ一つの行動に、選択肢を示せることが大切なのだと解釈した。
例えば、卒業式の練習。
卒業生は、結構な練習量になる。
ずっと良い姿勢を保つのも、なかなか大変である。
これを「やっている」のか「やらされている」のかで、効果が全く違う。
卒業式は「お祝い」である。
大勢の人が、自分たちを祝福するためにに来てくれる。
そこで最高の姿を見せて、感謝の念を示そうと思えば、練習は「選択」になる。
ただ練習があるから参加するのであれば「やらされた」になる。
あらゆる場面で通用する原則的な考え方であると思い、紹介した。
2014年4月2日水曜日
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