ここ最近、本を紹介してきた。
良い本に出会うことで、変化のきっかけをつかめると思う。
また、講演会などで良い話を聞くことでも同様。
しかし、一方で、書物や話によって得られるものの限界も感じる。
結局は、体験を通したものしか血肉化しないようである。
それは、映画によって得る感動などと同じである。
どんなにいい本を読んで感動しても、それは知識が増えたということに過ぎない。
知識は確実に大切。
そしてその知識は実行しないと、あっという間に腐敗する。
知識を得ると、理論ができる。
理論というのは、理想や設計図。
一方、体験を通した事実というのは、目の前にある現実。
設計図を持つから、その建物が建つ。
一方、どんな良い設計図を持っていても、今目の前にある建物が事実。
設計図を書き換える作業だけでは、建物自体は変わらない。
設計図を見ながら、実際建て直して、初めて理想に近付く。
「論より証拠」である。
一番教えてくれるものは、書物より講座より、いつも自分の周りにいる人々。
全てのベースは家族。
職場では同僚。
教室なら子ども。
そして子どもの背景には、保護者。
これらの人々以上に、自分を変えてくれる人はいないようである。
身近な場にこそ、学びたい。
2014年4月22日火曜日
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