今週、多くの学校で入学式があることと思う。
お祝いの日であり、出会いの日である。
これと対比して存在する卒業式は、お祝いの日であると同時に、お別れの日である。
思えば、子どもが毎日教室に通ってくれるというのは、有難いことである。
義務教育だから来るだけとかどうこういうことではなく、会えること自体が有難い。
別れがあるから、出会いを有難く感じられる。
これが永遠に続くものであれば、なかなか感謝しにくい面もあるかもしれない。
多くの子どもは同じ中学校に上がるため、「どうせ中学で会うから」という考えもある。
一理ある。
しかし、この仲間で、この場所で、この時は、いつでも「今」しかない。
日々「一期一会」である。
一期一会は茶の湯の教えで、「一期」は一生涯、「一会」は一たび会うことを意味する。
どの茶会も一生に一度と心得て、
誠意を尽くすべきであるとすること、
そのことに専念することという心構えである。
自然と卒業式は、毎日そうであった当たり前ことへの感謝を再認識する日になる。
卒業式だけでなく、一期一会の精神を持って、毎日を新しく迎えたい。
2014年4月8日火曜日
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