2011年4月30日土曜日

「何を言うか」より、「誰が言うか」

「教師理解」は重要である。
なぜか。
ここに、教えたことが子どもの中にストンと入るかどうかがかかっているからである。
つまり、「この人が言うなら」という状態なら、吸収力が違うということである。

ここに「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」(PHP)という本がある。
マザーテレサの言った言葉を翻訳して、そのまま載せてある本である。
かなり、いや、100%キリスト教寄りである。
「愛は、この世で最も偉大な贈り物なのです」といった言葉が並ぶ。
私はキリスト教徒ではない。
しかし、マザーテレサが言うことなら、「そうかも」と思う。
全く同じ言葉を、全然知らない人が言ってきたら、きっと「そんな訳ないだろう」と思う。
誰が言ったかによって、解釈が真逆にもなるのである。

「こけちゃいました」という言葉は、きっと今まで数え切れない人が口にしたと思う。
何てことのない言葉である。
しかし、これとて、誰がどんな状況で言ったかによって、感動を与える言葉にもなる。

これからたくさんのことを教えるにあたり、「教師理解」は重要である。

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