何事に関しても、「根本・本質・原点」は何かを考えることが大切である。
(これも、野口氏が度々口にする言葉である。)
学級開きをしてから、実に様々なルールが作られる。
学習規律に関することから給食のおかわりに関するルールまで、細部まで多岐にわたる。
ルールがないのも不自由だが、多すぎると、ルールに縛られて動けなくなる。
大切なのは、なぜそのルールがあるのか、その根本・本質・原点を全員が理解しているかである。
教師の側がそこを押さえているのが、大前提である。
「先生、どうしてこうしないといけないのですか」と問われ、「前からそうだし、ルールだから」では情けない。
例えば、なぜ授業の前に礼をするのか。なぜその言葉なのか。
授業中に立ち歩いていけないのはなぜか。
隣の人の答えを見てはいけないのはなぜか。
答えを写すだけではいけないのはなぜか。
給食を残してはいけないのはなぜか。
勉強をしなくてはいけないのはなぜか。
挙げればキリがない。
しかし、その都度きちんと説明できないようなことは、やっても無駄なことである。
教師が意味を理解せずやらせていると、意味を理解しないでやる子どもが育つ。
根本・本質・原点は何か、ルール作りの際は、ここを見直して設定したい。
2011年5月1日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
教室は、自分の考えを発表する機会が多い。 そして、声が小さいと聞こえづらい。 そうなると「大きな声で」という指導が入りがちだが、これだけだとうまくいかない。 前提条件がある。 まず、たとえ小さな声でも何とか聞こえる環境を作る方が先である。 原則は、仲間の発表中は全員が黙って聞く姿...
-
あいさつ運動、どの学校でもやるのではないかと思う。 しかし、なかなかできるようにならないのが実情である。 街中、都会になるほどしなくなる。 人が多すぎる為かもしれない。 それでも、学校はあいさつ指導の核になる場である。 (全ての教育の核は、学校である。地域の大人も学校の...
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
0 件のコメント:
コメントを投稿