自力解決とは何か。
読んで字の如く、「自分の力」で「解決」することである。
では、「自分の力」とは、どこからどこの範囲を指すのか。
例えば、授業中に「隣の人に答えをきく」「ドリルの答えを見て写す」「黒板の答えをそのまま写す」ということをする。
これらの行為が、自力解決としてOKな学級とNGな学級がある。
「自力解決」を、自らの内からわき出てくるアイデアで解決することだとみなす場合、NGだろう。
「自力解決」を、人にたずねることを含め、あらゆる手段を使って解決するとみなす場合、OKになる。
私は後者で、無から有は生まれないという立場である。
人に質問したり、見させてもらったりするのは、コミュニケーション能力の一つで、生きる力の一つである。
答えを見て解法を学ぶのは、中学以降では基本の勉強方法である。
それができるのも「自分の力」だと考えている。
だから、大いに人にきいたり答えを見たりして結構だと思う。
(テストの際は、教師側の都合からすると到達度をみたいので、見られると困るが。)
多分、正反対の考え方の人もいると思う。(というより、多数派かもしれない。)
いずれにせよ、子どもにきちんと力がついているかどうか、これだけが価値基準である。
それさえできていれば、方法は何でもよい。
ただ、「答えを見ないで考えなさい」という方法が自力解決だと思っている人には、反対の立場である。
それができる相手ならば、もはや授業をする意味もない。
自分なりの信念を持って指導に当たるのが大切である。
2011年5月9日月曜日
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