「やれなかった やらなかった どっちかな」
相田みつをの詩の中で、なまけものの私が特に好きな詩である。
自分は「やらない」ことが多いなぁと、身につまされる。
「れ」と「ら」のたった一文字の違いなのに、天と地の差がある。
やれなかった・・・自分の意思とは別の部分で、行動することが不可能であった(責任は外にある)
やらなかった・・・やれたのに、自分の意思で行わなかった(責任は自分にある)
「先生、宿題をやれませんでした」
「プリントがなくなりました」
子どもがこう言ったら、私は必ず詰める。
「つまり、自分の責任じゃないってことですね?」
そして、言い直しをさせる。
(稀に親が病気で看病していた等の「やれない」こともあるので注意。)
「宿題をやらないで、遊んでいました。」
「プリントを僕の不注意でなくしました。」
きちんと言えたら、正直に言えたことを誉める。
「全ては私の責任です」という態度を一貫させる。
一つ一つの言葉に、責任と重みを持たせたい。
2011年5月11日水曜日
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